教育徒然

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授業は常に挑戦の連続

 日々常に授業は移り変わっていく。そういえば聞こえはいいかもしれないが、実質いつも悩むばかりである。何度も繰り返し行った授業は応用パターンも増え、これはこうして、ああ教えればいいなという事ができる。しかし、そこに至るまでが非常に難産でもある。以前授業のアレンジという事も取り上げたが、一つの教え方は結局のところ授業のある側面を捉えて紹介されているに過ぎない。問題はそこからどのように自分で補強していくかという点にある。

 教えるという事は、その内容について全て知っていれば教えることが出来るということではない。教える相手が何を理解しているか、どこで躓いているかを把握することで、理解するための道筋を照らす点が重要である。なぜわからないのかを追わなければ、いつまでたっても一方通行で終わってしまう。

 ゆえに授業の構成やプリントなどの使い方は生徒によって徐々に変わっていく。たとえ同じものであっても、別の事例を持ち出した方が分かり易い、伝わりやすいということもざらにある。誰もが同じ参考書を使って、同じ成績にならなのが当然であるのに、教え方がたった一つで全員に伝わるという事などあり得る筈はないのだ。

 だが、そのぶん使える材料は多くあった方がいい。アレンジの方法がたくさんあるのであれば、それだけ対処はしやすくなる。加えて、それを常に議論し、実践の中で使い、応用パターンを増やしていくことがもっとも望ましい授業の作り方であると思う。生徒に、授業はどうだったかを聞いて具体的にどうした方がいいのか聞くことなどは必要不可欠なのだ。

 同教科の教員にアドバイスを請うてもいいし、他教科であってもどうすればいいのか、議論する事で研鑽していくことは決して恥ずかしいことではない。ところが、そのあたり活発に行われているようで、なかなかどうして進まない分野でもある。多くは実態を考えずに、一回の授業で判断するからだと思われるのだが、如何せん口出しされるのを嫌う人がいるのも事実である。

 そういった点をもっと柔軟に日々学習していくことが肝要ではないだろうか。

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社会人のための情報教育③

 未来の可能性をつぶさないためのコンピュータスキルと情報モラルの両立

 
 a 知識はスキル スキルは知識

 b モラルはスキル(知識)で補うべし

 c 意固地になるなかれ



 cについてはまさにそのままの意味であるが、教育に関わる姿勢としての意味と、ネット上のやり取りをする上での対応としての二つの意味がある。教育される側となるとどうしても言いたいこと気になることが出てくるので、反論や別の方法があると提案したくなってくる。もちろんそれは必要なのだが、まずは自分の中で一つ受け取ってもらう威勢もまた必要である。

 これは教育する側の姿勢としても抑えなければならないのだが、自分自身が教育をする側であるのならば、少なくとも反論されることや意見を述べられることは当然あると考えてもらわなければならない。そのうえでしっかりと自らの意見を述べるとともに、もし相手のいう事に正当性や合理性があるのならば、それを相手に伝え、今後改めていくことを検討する姿勢を示すのだ。

 自分の意見にだけ固執し、意固地になってしまうことは単に教育活動から見ても望ましいものではない。特に情報教育は日々変化する現状に対応し続けなければならないのので、柔軟な姿勢を示すことが今後の展開につながるのである。

 またネット上のトラブルについてみれば、現在のツイッターでの大人同士のやり取りを見てもらうと非常によくわかる。振り上げた拳をどこに持っていけばいいのかがわからず、結果として自分の周囲にくだをまく姿が至る所で見受けられる。当人たちは自らが正しいとの姿勢を崩しはしないが、周囲からすれば子どものように映るその姿は、単に今後の信用を落とすだけの行動にしか見えない。

 素直であればいいというわけではないが、聞き入れる態度を持ち、意見を反射的に返すのではなく、咀嚼してよく考慮するという判断は必要である。いかんせん、ネット上のやり取りは感情先行型になっているものが目につき、読んでいると気持ち悪くなってくるような気さえする。

 なんにせよ、意固地になって見えるものも見えなくなってしまって状況は情報を扱ううえではマイナスにしかならない。

 

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