教育徒然

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補足

 幸いなことに小寺さんご本人からブログへの指摘を頂いたので、そちらの内容についての補足等をしていきたい。またツイートされた内容からの引用についても快諾して頂いた。改めてここでお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。不定期ではありますが今後も続けていきますので、何かしらの参考になれば幸いです。



 さて、まずは一つ目のツイートから。

「このエントリーでは、『保護者全員が一つの例外もなくデジタル化された情報を受け取れる環境が整備されていない』という仮定に基づいているが、実際に調査すべきである。ちなみに須磨学園では、調査したところ全家庭にネット接続環境があった」

 こちらについてだが、参考程度に私が授業を担当しているクラスからの概算を導き出してみた。ただ、詳細な数字については、それこそ勝手に調べて許諾もないまま載せていいのかと追及される可能性もあるのでご勘弁いただきたい。言える範囲では学年をわけない複数クラスで大体の数字を出している。


  a 情報機器の所持率      約97%(家族含め) 3%は携帯電話(ガラケー)もパソコンも持たず。
  b パソコンの所持率       約80%
  c PCのネットワーク接続率  約60% 
  d スマートフォン所持率    約30% なおスマートフォンを持つうち、PCの所有率、接続率はほぼ100%

 なお、本校は複雑な家庭環境におかれた生徒も多く、学校としての平均をとればおそらくこれより数字が上昇する可能性が高いと思われる。携帯電話を含めた情報機器の所持率と考えれば、ほぼ100%に近くなるだろう。また今後ガラケーの所持率が減りスマートフォンへ移行すると考えられ、デジタル情報を受け取れる環境は整い始めたと言っていいのかもしれない。心情的には本校のような3%をどう扱うかという点は気になるが、数字で見ればわずかなものでしかない。

  
 では2つ目のツイートについて。


「僕が学校からの手紙をスキャニングしないのは、自分だけが問題を解決できても意味がないからである。そもそも学校からの手紙もWordとかで作っているのに、それを何百枚と紙にプリントして、またそれを各家庭でデジタル化するというのは無駄では。」

 このツイートから「何百枚もの紙に印刷するのが無駄である」ということと「元データがあるのにわざわざ保護者がデータ化するのが無駄である」という2点の無駄があることについて述べていると私は受け取った。最初の「自分だけが問題を解決しても意味がない」というはまったくもってその通りであり、これについては前回の終わりに書いた提案も関係するので割愛する。


 まず私自身のスタンスとして理解してもらいたいのは「プリントの配布をデジタル化して行うことは時間の問題であるが、補助的に紙による配布も行われ続けるだろう」というものである。加えて全体的に私の主張したいことは、「現状の設備と人員配置のままでも、各教員の能力向上を図り、保護者の理解を促すことで実現可能な提案をする」ことだと考えて頂きたい。設備投資などの大きな金額が動くことや各個人のもつ特有スキルでなければできないとするのは現状からの逃避でしかないからである。もっとも巨額の金で解決されてしまう事例が多々あるという現実もありますが。


 さて本題に戻って。まずは「紙という媒体が無駄である」という視点を持ってほしい。極端な例ではあるが、そもそも紙を使わずにデジタルでのみ情報提供すると仮定する。それこそ文書の作成自体はすでにほとんどのものがデジタルで保存管理されているので技術的、設備的にも現時点で不可能ではない。おそらくはデジタルによる転送が将来的には主流になるが、現実にこれを行おうとしたときに問題点が出てくる。それはテストの点数や評定、身体測定の結果などの個人情報の取り扱いについてである。

 個人情報の中でも特に守るべき情報を現状のネットワーク環境やセキュリティのまま転送することを保護者が良しとするだろうか。これは正直わからないというのが私個人の感想である。そのため実行に移すこともためらわれる。できれば大規模な形で現在の保護者にアンケートをとるのが望ましい。


 「何もそこまですることはない」「成績だけ紙に印刷すればいい」と思う人も多いだろうが、他の情報についても紙で出した方がいいという要望があった場合、結局個別対応に時間がとられ最初から大量印刷した方が手順もこれまでと変わらず手っ取り早いと判断され、ペーパーレスから程遠くなることは目に見えている。紙からデジタルへの完全移行に不安が残るのであれば、配布について不確かな領域で紙とデジタルを使い分けることを余儀なくされ、効率よい使い方であるとは判断されにくいだろう。


 すなわち、ネットワークの情報保持や機密性を保護者および教員または他の関係者が、紙よりも信頼できるものとして受け入れられるかというのが一つ目の課題である。


 では、二つ目の視点だが、誰がプリントを発行しているかという点をまず想像してほしい。これは本の中でも指摘されていたが様々な部署である。前回のエントリーで一通り部署の名前をあげたが、主にその部長や主任が原案をつくるのが通例ではないだろうか。ここで使われるソフトはご指摘のあった通り「word」であることが多いが、「一太郎」もまだ根強く使われている。

 そして原案から各部署内の稟議と管理職の承認によって決裁が下り、文書が発行される。稟議の際はデータではなく印刷されたものが周り、大本のデータは起案した人物が保有している。ここで問題なのは、そのデータが後に共有されることを確約されているかどうかである。

 校内ネットワークが整備され、全ての教員がアクセスできる場所に文書を共有することが定められていれば、生徒と保護者へ文書をわたす窓口である担任がデータを保護者に提示することが出来る。しかしネットワークにつながらないパソコンを担当教員が使っている場合やネットワークそのものが機能不全であった場合に大本のデータを持っているのがたった一人という現状が発生してしまうのである。

そのため、担当教員が不在の場合、校内の人間ですら大本のデータがどこにあるのか分からない場合がある。この問題は学校のネットワーク管理そのものを是正することが必要であり、ネットワークのチェックとメンテナンスについての規定を定めなければならない。

 またネットワークについて管理が行き届かない原因に、必ずしも教員の中にネットワークを運営管理できる人物が複数いるとは限らない現状がある。校務を行いながら、たった一人でネットワーク管理している教員もおり、余計な仕事がますます増えている。外部委託もされているが、業者は近隣の学校や他の案件も掛け持ちしているので、即時の対応が期待できず3日~4日ネットワークがつながらない時もある。


 すなわち、文書の共有などのネットワーク利用に関する教員に知識の乏しさと校内ネットワークの維持管理の向上に務めるというのが二つ目の課題である。

 二つ目については、学校側の利用法に課題があるという事で、今後の各教員の技術スキルの向上を積極的に図っていかなければならない。ただ吐露してしまえば、これは正直気が重い。若い世代はともかく、ベテランに向けた実践的な研修をどれだけ実施できるか不安が残る。

 ということで先日のエントリーについて指摘された部分を補足してみた。正直考え過ぎて途中で何を書いているのか分からなくなった部分も多々ある。疑問点やおかしな点がさらに拡大する場合もあると思われるので、その時は改めて綴りたいと思う。

 最後に、先日の記事をご覧いただき本当にありがとうございました。まとまりがなく、無茶苦茶になってしまいましたが、これを書くきっかけを作っていただいた小寺さんにお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

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学校と保護者を結びつけるネットワークの在り方

 小寺信良さんの「子供がケータイをもってはいけないか?」の中に気になる記述として「アウトプットのIT化」と「破綻する連絡網」がある。前者は学校から配布されるプリントをデジタル化してネットワークで配信したほうがいいのではないかという提案であり、後者は電話による連絡網が個人情報重視の観点によってすでに崩壊しつつあり、連絡網の在り方に疑問を呈していると私は捉えている。

 確かに両観点とも今後の対応として必要なものである。保護者にとってみれば各個人に届くデジタル化された情報というのは非常に便利だろうと思える。全てコンピューター上で行うのだからさほど手間もかからず簡単にできてしまいそうな気さえしてしまう。しかし、メリットを強調してばかりもいられない実情を考えてもらう必要が生じる。
 
 小寺さんの場合だと、年間約400枚前後のプリントが届くので、それらの維持管理が紙では心許ないうえ、いざという時に扱いにくいのでデジタル化が望ましいというものである。だが、現実は紙によって配布されるものが少なくなることはないだろうと思われる。

 まず一つに環境整備がそれにあたる。当然のことながら、その保護者全員が一つの例外もなくデジタル化された情報を受け取れる環境が整備されていなければならない。40人学級で4,5人の保護者が情報機器を使うことが出来ない環境にあれば、紙による配布を全員にした方がいいと考えてはしまわないだろうか。

 もちろん紙による配布はやめなくてもいいので、メールでも配布してくれればいいとの意見が出てくるだろう。しかしここで見えてくるのは何のためのIT化だったのかである。校務のIT化で時間短縮の筈が印刷したうえでさらにメール配信となる状態は果たして時間短縮といえるのだろうか。

 またメールアドレスなども個人情報として収集し、学年や学校でデータベース化することは将来的にありうるが、それを利用するのが学校全体となればその管理方法などを規定する必要が出てくるのだろう。特にネット上に直接つながるものならば、教員が個人的にもつスマートフォンなどで扱うことは禁止され、より一層制限された範囲内でしか運用できない可能性もでてくるのだ。

 これに対し、個別に配信するのではなく、webページ上で誰もが閲覧する状況を作ればいいとの考えも出てくるだろう。確かに主として保護者に伝わればいい情報は先の400枚のうち100枚前後になり、ページ上に掲載することは問題ない。しかしただでさえ年間100枚前後のプリントをwebページ上に掲載する方が見やすくていいと判断するかは疑問である。とはいってもこれらの点は学校として何とかしていく方向で片付けられてしまうのだろうとも思う。時間と金の保証がないままではあるが。

 さらにプリントを配布する意味についても考えて頂きたい。プリントの情報は担任から児童生徒そして保護者へと伝わる。それに本の中で指摘されている通り発行するプリントを発行する部署は様々あり、中学校や高校ならば、教務、生徒指導、進路指導、保健、特別活動、渉外、学年といったことがあげられるだろうか。つまり担任が学校の窓口になり、そこにプリントが預けられ30余名の児童生徒に配布されるのだ。

 そのプリントの内容は児童生徒にも知ってほしいという情報である。ホームルーム時に説明したりする場合には、やはり各生徒に伝わるようにそれぞれがプリント読める状況を作る方が望ましい。給食の献立表や図工に必要なものといった内容は、生徒と保護者、両方に事実認識を促すためのものであり紙で発行しないという選択肢は、おそらく今後もないだろう。

 加えて、これは厳しいと思われるかもしれないが、どうして小寺さんはプリントを自分でデジタル化しなかったのかという事も指摘しなければならない。紙のプリントをメールで送ることを簡単で効率が良いとするならば、配られたプリントを写真で撮るなり、スキャナで保存するなりすることも出来た筈である。その時はそうしなかっただけで、今はデジタル化しているのだろうが、その時まで思い至らなかった理由を考慮する必要はある。

 スキャナやカメラなどの環境整備も重要な点であるが、それ以上のことは推察する余地はないので、環境以外を考える。すると、そこには自分がやらないでも、学校が提供してくれればそれで済んでしまうという情報利用の怠慢とはいえる思考がないだろうか。つまり「情報機器をうまく利用してほしい」と言いながら、自分では「わざわざそんなことに情報機器を利用する必要がない」としているのだ。これでは本末転倒である。受け取った情報をなぜうまく使わないのかとも言われかねない。最もこれらは普段使い慣れた人への意見となるので、あまり参考にはできないが。

 そしてこれらの「情報のアウトプット」の現状課題を踏まえたうえで、「破綻する連絡網」に効果も期待できる提案がある。それは次の時にでも書くとしよう。

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教員に求められる「情報活用能力」の程度

 教科「情報」を教えるには教員の資質が重要であると先日述べた。生徒の「情報活用能力」を育み鍛えるのであれば、教科書に書かれている内容を「実」を伴って肉付けし、基礎的な技術力を高めることで、発展的学習を自ら行うことが出来るよう指導を行う必要がある。また高等学校の「情報」だけではなく、現在の小中学校においても基礎的な情報技術の習得と一般的な道徳を踏まえた情報モラルを教えることが肝要である。

 ここで注意点が生じる。高等学校においては曲がりなりにも教科「情報」があり、中学校においては技術の中に「情報」としての授業はある。小学校においては「総合的な学習の時間」で「情報」が教えられることになるわけだが、果たしてそれぞれの教員の「情報活用能力」はどの程度のものなのだろうか。

 現在、教員のほとんどが文書作成のためにコンピュータを使い、成績処理や会計、プレゼンなどを行うことで一般的な情報技術を取得しているといえるだろう。もちろんネットワーク技術やプログラミングといった専門的な内容を網羅した教員もいるが、割合としてみれば低い。また「Word」「Excel」「PowerPoint」に限れば、その使い方を教えることに苦労しないと思われる。ではこれらの能力だけで「情報」に関する授業を乗り切ることが出来るだろうか。

 はっきり言って乗り切ってしまうことは可能ともいえる。事実、これまでがそれに近かったのではないだろうか。教科「情報」でどういったことをやるのかを実践の中で模索しつつ、情報技術の習得だけが主目的になっていた。しかし昨今のネットワークの急激な発展が、単なる技術の習得だけにとどめておくわけにはいかないと、本来の「情報活用能力」育成に傾いてきているのだ。

 これは、「実」を伴わない「情報」の授業が横行していたことの改善ともいえるが、まだ技術習得から脱し切れてはいないだろう。といっても学校の授業なんてそんなものだろうとの指摘がありそうだが、そこを改善にしていくことに意義がある。そして改善の過程に教員の「情報活用能力」の向上が必須になるのである。

 「情報活用能力」の向上といってもさほど難しいものではない。児童生徒に教えられるだけの能力を確保できればいい。だが、全体を見回してみればこれほど難しい課題もないだろう。何せ現在の子どもたちはディジタルネイティブ世代であり、生まれた時から情報機器が周りにあふれ、ネットワークが生活の中に組み込まれている。その一方、現役の40代50代は情報機器は必要な時にしか使わず、なおかつネットワークの積極的利用を行うのに尻込みしてしまう。それこそ、ネットワーク情報をフィルタリングしたものしか受け取っていない。

 また20代30代の教員は情報機器やネットワークに抵抗はないだろうが、指導方法について模索を重ねている状況だということに変わりはない。これも指導できる人間が課題になってくるのである。また保護者の「情報活用能力」も検討事項に入ってくるのだが、学校で「情報」について教えてくれるのならば、自分が別に詳しくなくても大丈夫だろうという結論を導きかねない。

 今、「情報活用能力」の向上が様々なところで喧伝されている。ツイッターやブログ、インターネット生放送や動画などによる軽率な行動が起因するのだろうが、言われているのは情報モラルについてどうにかしなければということである。「情報モラル」は「情報活用能力」の中に必要な知識や規範としての役割をもち、身に付けるべき要素であることは疑いようがない。しかし、「情報モラル」だけでは意味がない。そして教える際には、「情報活用能力」が根付いた「情報モラル」の授業を行うことが求められるのだ。

 一定程度の情報技術の習得とネットワークにあふれる情報に断片でも触れ合っていくことが教員の「情報活用能力」の向上へとつなげるはずである。詳細などは今後の検討課題ではあるが、このブログの中で語ることが出来ればと考えている。

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教科「情報」の幅

 現在高等学校で教えている「情報」の教科書を見てみると、実に様々なことが書かれている。

 問題解決するために情報をどのように扱うかなど「情報」に対しての考え方から、コンピューターの五大機能といった「情報」を扱う上で役に立つ機器の技術的な内容、さらにネットワーク上における情報の取捨選択及び表現などの心得なども書かれている。

 今の30代、40代の人間がこの教科書で得られることは数多くあり、初心者向けの説明書と言って差し支えないものである。もともと「情報活用能力」の育成が目的に含まれていることも教科書内容の充実を促進したといえるだろう。しかしこの教科書うまく使われているのだろうか。

 近年で情報技術に関する環境は大きく変わった。それはこの教科書も例外ではない。先に述べたように、今この教科書の内容は30代~40代もしくはそれより高齢の人物向けであり、加えるならば身近な情報機器である携帯電話に興味を持ち始めた10代前半の世代なのだ。もちろん高校生で扱うことに問題があるというわけではないが、より実質的で専門的な内容を扱ってもいいはずである。

 実際平成25年度から、教科「情報」はこれまでの「情報A」「情報B」「情報C」という科目から「社会と情報」「情報の科学」という科目へと刷新される。詳細はまだ分からないが、基本的知識から発展的内容へと広げたものになることは疑いようがない。

 教科書の改訂については大きな転換点といえる。とはいえ、それ以上に気になるのは、教科書の内容を教える教員である。実は教科書について言及したのも、教える側の人間が教科書をうまく使えるかということを言いたいがためのものだったのだ。

 私自身教科「情報」を教える立場なのだが、どういった授業をすればいいのか、非常に頭を悩ませる日々が数年続いている。それでも、私の授業は、生徒の「情報活用能力」を鍛えることに一役買っているだろうという自負がある。学校の実情もあり、実習がメインとなる授業になってしまうことは否めない。それをできるだけ補えるように、実践的な使い方を想定した文書作りや計算の手順を省略せずにしっかりと関数を書かせる。またはメモ帳からのwebページ作りなどもおこなう。また知的財産権や情報モラルの指導については、現在ネットワーク上で起きている実例をもとに、興味をもたせ授業外に自分たちで調べることができるようにしている。

 さらに、情報技術の最新事情をニュースから拾い、どんな意見があるのかなどを見せながら、考える時間を与えたり、動画サイトなどでにある面白い映像についても見せて、どう思うかなどを聞いている。難しい課題や実践そのものが難しいものはないが、生徒達には何かしら感じるものがあると思っている。単なる自己満足かもしれないが、それでも生徒からこういう授業はやめてほしいとか意味がないと言われておらず、一部成長も見られるので今後も続けていくつもりである。もしこれを読んでそれは間違っていると思ったならば指摘を頂きたい。是非とも今後の参考にしたいと考えている。

 と、私の授業内容を述べたところで、ここまで意識を高くして教科「情報」に取り組んでいる教員はどれくらいいるだろうか。単に教科書内容を述べるだけにとどまっていないのか、単にオフィス製品の使い方を淡々と教えるだけの授業になっていないだろうか。

 もちろん意識の高い教員もいる。しかし取り組みの度合いに相当な差が生まれている。これは他の教科においても同じではあるが、「情報」ではまだ教科としての歴史が浅い分、教員の資質が教科としての「情報」の幅と深度を狭めてしまうのだ。

 このまま、手をこまねいてまっているわけにはいかない。今後は、小中学校においても「情報」の意義はます。教育内容としての「情報」を指導する教員の資質向上は急務である。

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情報に関する教育とはなんだろう。

 ここ最近インターネットやコンピュータに関する教育事情を色々と考えることが多くなった。
自分自身がそういった教育事情に身をやつしているせいもあるが、何より今のまま惰性に身をゆだねてゆっくり変化を待つのがいいとも思えなくなったのは確かである。事ここにいたり、情報は発信するべきであろうとも思い至ったので色々と記すことにする。

 まず教育と情報(ネットワーク含む)を考えるといっても、そのテーマは多岐にわたり、その一つ一つが大きな課題を抱えているので、ごく限定した状況を持ち出さなければ話が進まないのは確かである。色々書いている間にも疑問点などが浮かんでくるこの現状をなんとか変えようと、志高く、長文になることを覚悟の上でブログに取り組んでいこうと思う。

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