教育徒然

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何故求め続けるのか

 連日の個人情報晒しにうんざりし、個人的体験を勇気をもって披露し励ます著名人たちに少々食傷気味な日々であるが、もう少し俯瞰的に考えてみたいことがでてきた。それは、なぜこれほどまでに情報を求め続けているのか、もしくは情報を提供し続けるのかという点である。まあ、とある番組のオープニングでも使用されていたが、アリストテレスの言葉に「全ての人間は生まれながらに知ることを欲する」とある。これで完結してしまいそうな気もするが、これよりは近づいて考察を進めていきたいと思う。

 さて、情報を求める最も単純な理由として挙げられるのが、個人的に知りたいという欲求なのだろう。だが、いくら知りたいと言っても、限界がある。その限界を情報の収集と保有及び処理にわけてみたい。この3つの限界点があることで、際限なく知ろうとしてしまう欲求に歯止めがかかっていたともいえる。

 収集においては、新聞・テレビ・ラジオ等の各メディアが台頭することで、個人による収集量を圧倒的に上回るものを手に入れることができていた。しかし、組織で動く巨大媒体ゆえに細かな情報を追う事は伝えることが出来ず、主たる内容としては概要のみに留まってしまった。また、細部にわたる情報を得るためには、自ら動かねばならず、結局のところ情報収集の限界点にたどり着いてしまった。

 保有については、個人でどれだけ情報量を蓄えることが出来るのかという点に尽きる。各メディアによる情報量は膨大なものに上るが、それを個人所有するには単純にスペースが必要となる。脳内に蓄えるには多すぎる情報量は結局物理的に存在させるしかなく、映像にしても紙にしてもすぐに限界が訪れてしまう。

 処理については、各個人の持つ能力に由来するところが大きい。全てのことが分かる専門家というのはそうそう存在しない。一つの分野に詳しくとも分からないものが必ずあるという点が処理の限界だとするならば、それ以上は見込めないことになる。

 だが、これらの限界点を格段に引き上げるものとして情報機器とネットワークが使われているのが現状である。情報の収集には、これまでのメディアに加え、誰もが情報の発信者となったことで、個人発信の集合化という巨大なメディアが登場し、より一層細かな情報を収取することが可能となった。

 情報の保有についても、各メディアのデータベースが整理され、引き出しやすくなったことに加え、ネットワークそのものに情報を集積し、誰もが共通の情報を得ることも容易となった。

 情報の処理については、自分が専門的知識を持たずとも、ネットワークに介在する人たちの中に分かり易く解説してもらえる可能性も上がったことで、処理能力の向上せずともよくなった。

 ゆえに、限界点に余裕が出来たことで情報を知るという欲求がさらに拡大していると考えられる。ところが、ここに落とし穴が存在する。それが、情報の中心点と他者の介在である。

 この続きはまた後日。
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