教育徒然

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炎上はなぜ怖い

 私は情報の授業の中で何度か「炎上」について生徒たちに話しており、ネット上に何かしらの意見を書き込んだり、写真などをアップロードしたりする時には充分注意をするようにと指導している。また炎上した際の個人情報の悪用や誹謗中傷なども起こり得ることまで含めた話もしている。しかし、改めて「炎上」することの何が怖いのかと考えてみて、一つの解釈を思いついたのでメモがてら記しておきたい。

 ネットで炎上することの何が怖いかと言えば、誰に何をされるのか分からないという恐怖を挙げる必要があるだろう。炎上したときの誹謗中傷には、自分を含む家族に対して危害を加えるという脅迫じみた内容のものもあるうえ、氏名・住所・所属先などを晒されたりと言ったこともある。ゆえに実際に何かされてもおかしくないという状況を作り出されるのは確かに怖いことである。だが、実際にはこれは副次的なことなのではないかと考えるようになった。そもそもなぜ炎上したときに身を守るすべがないのだろうか。実はそこにこそ炎上の怖さがあるのではないかと思う。

 以下のリンク先は,半年ほど前のものだが「炎上」を経験したとされる人物へのインタビュー記事である。

ネットでの"炎上"経験者「ただ一つ言えるとすれば、怖かった」

この中に気になる部分があるので、抜粋したものを以下に掲載する。



 この人物によれば、"炎上"は「単純に批判されることよりも、一度"炎上"すると歯止めが利かないところに怖さがある」という。「批判や誹謗中傷はまだ仕方ないとして、情報が一方的に作り上げられ、その情報に関してさらなる批判、誹謗中傷がなされる。一度論争が巻き起こると、こちら側が何を言ってももう遅い」と、ネット上で情報が広がることの恐ろしさを語った。特に作られた情報が拡散することについては、
「ふだんの生活で誰がこの話を知っていて、誰が知らないのかが分からないため、他人と付き合いづらくなった」



 この中で、注目したいのは「一度論争が巻き起こると、こちら側が何を言ってももう遅い」という部分だ。そもそもの発端は、「炎上」を起こした人物の発言であるにも関わらず、「炎上」後の発言は取り合ってもらえないというのだ。ここにこそ「炎上」の怖さがあるのだろうと私は考えている。

 少なくともネット上は自由な発言を好きにすることが出来る。このブログがそうであるように、ネット上の媒体は何であれ、誰であっても自由に意思を表明することが出来る。その相手は不特定多数であるのか、特定の人物であるのかは構わない。しかし、「炎上」という現象は、発言者のあげた声を全てかき消してしまう。挙句の果てには、自分の発言していないにも関わらず、自分の発言とされてしまう。それを否定したところで、「炎上」によって発言者の声が届くことはない。

 これは非常に恐ろしいことである。少なくとも「炎上」している間、発言者は何もできないということになり、その騒ぎが収束しなければ、自身の真意について話す余地がない。そして、そこから最初に述べたような身の危険を感じさせるような事態に発展するので、「炎上」は怖いということになるのだ。

 であるならば、「炎上」についてどう対応すればいいのかという問題になるが、基本的な対応としてはやたらめったら反応しないというのが、現状の一番とり得る対応になる。やることがあるとするならば、炎上したコメントについてしっかり記録しておき、あまりにも真意と違う内容が書かれていたことのみ、後にしっかりとしたコメントを出すというのが望ましいのではないだろうか。

 芸能人のツイッターやブログなどではブロックやコメント欄の閉鎖などもあるが、これは「炎上」を起こしたのちブログ内での延焼をふせぐのと同時に、強制的に真意もしくは謝罪を目にさせるという効果を狙ったものである。別の掲示板で「炎上」する可能性はあるが、首根っこ掴んで「この話題は終わり」と言われてしまえば、とりあえずは沈静化する。もっとも燻っている状態にもなりかねないので、別の話題でまた引っ張り出されてしまうことはあるかもしれない。

 時間がたてば勝手に収束するので、「炎上」はさして怖くないと思うかもしれない。しかし、いきなり「炎上」した時に対する焦りというのは必ずあるものだ。ただでさえ、即時性に定評のあるネットなのだから、何かしなければと思うのも仕方がない。それが、火に油を注ぐ結果となるのは見えきったことではある。

 こういった炎上騒ぎに嫌気を覚えて、限られた人のみに対して公開する人も多い。それもまた当然の結果であり、不用意な発言をしがちな未成年にとって身を守る最上の手段である。しかし、ネットの自由度を考えると、もったいないと思えるのも確かだ。さらにいえば、限られた人のみの情報公開は自らの視野を狭める結果へとつながりかねず、他人の意見を受け入れる素地をなくしてしまう場合すらある。

 ちなみに自分の意見を伝える相手を見失っていないければ「炎上」はさして怖いものではないのかもしれない。とはいえ、虚空に叫んでいるような言葉は誰がきくのか楽しみでもあり、怖さでもあるという事を認識しなければならないのは事実だ。

 こうした考察を振り返って夏休みが終わってからの「情報」の授業で、色々と話してみようと思う。

 しかし、この「炎上」だが、個人的に「学級崩壊」とよく似ているなという印象を受けた。教員の言っていることを聞かずに勝手気ままに遊びまわり、自分のやりたい放題やってしまう姿に周りも感化されてしまう状態は本当によく似ている。その指導法についても実は少し通ずるものがあり、「なるほどな」と一人納得してしまった。結局のところ、ネットでも現実でもやはり大差はないと改めて確認した。

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