教育徒然

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教える目的

 教科「情報」の授業で教えている内容と言えば、Word,Excel,PowerPointが多く、非難の的となりやすい。曰く、それを教えて何になるのか、曰く、他に教えることがたくさんあるだろうとのことである。御説御尤もだと言いたいところだが、改めて考えてみると少し視点を変えれば、そういった学習を進めることも否定できないのではないかと思う。そのあたりを少し書いていきたい。

 そもそもなぜマイクロソフト社のオフィス製品を使うかと言われればそれだけ普及しているという事の裏付けでもある。もちろんこれ以外にも文書処理ソフト、表計算ソフト、プレゼンソフトはあるだろうが、使われるのが最も可能性が高いのであれば、それを使用することに対してさほど問題ではない。ゆえにソフトに対して行われているような批判は、問題の本質を捉えていないのではないかと思われる。もちろんこれは教育上の観点から見ただけで、それぞれの企業の思惑等にのったものではない。

 そうなると本題は一体どこにあるのか。それは一つ目に実習により過ぎた授業と、二つ目に生活に寄ったコンピュータの一般的知識と授業内容の乖離である。

 まず実習により過ぎた授業というのは、情報という教科が入ってきた頃の状況を踏まえて考えれば分かり易い。情報という教科自体、世相を反映して新しく設立されたものであり、当初はどんな授業を展開すればいいのか試行錯誤しながらのものであった。さらに新設教科であったことから、教員も他教科から引っ張ってこられ、わずかな研修期間を経て教えることが可能となった。その中で情報機器を扱う授業を新しく教えるとなれば、戸惑うことが多かったであろう。

 そこでどうしたかと言えば、とにかく情報機器を使わせるしかないと思うのが当然の流れである。しかも、職業系の教科ではすでに機器を利用し、実習を重視した授業で行われており、それに倣って実習中心となるのは始めから見えていたことである。しかも、情報の教諭採用枠はごく少数でしかなく、対応した人材が少ない以上、これまでのやり方が踏襲されているは致し方ないというしかない。
 
 そして、その状況に疑問を感じさせる事態が二つ目の点にある。教科「情報」が始まった当初は、今ほどの普及を一般が予測するには至らなかった。仕事場でコンピュータが使えないと苦労するという認識だったので、むしろ実習中心となるのを容認するレベルであったろう。

 しかし、状況は変わった。今や日常的に情報機器を使い、ネットワークに接続し、更なる情報媒体が生まれている。そこに新たな問題が介在し、誰もが知り得るような状況を作り出している。利便性がありながら、使う人間の問題も指摘されているのであるならば、学校でその内容を取り扱うのも当然であると考えるのはごく自然である。実際、新しく改訂された教科「情報」の内容も時代に即したものといえるだろう。

 とはいえ、その内容は専門的分野にも踏み込んでいるので、なかなか授業を見ることのない人たちにとっては把握しづらいものである。さらに、行われている実習が旧態依然とした技術力を上げているだけのものだと見えてしまえば、本当に情報教育は大丈夫なのかと疑問に思いたくなる気持ちも分からないではない。

 こういったことが批判される原因ではないだろうか。他にもあると思われるが、とりあえずこういった思想を打破するべく、教える側は今後の授業を行う上で一つ思考の転換をはかってはどうだろうか。その考えの一つとして私の意見を述べたい。

 まず自信を持ってWord,Excel.PowerPointを教えてもらいたい。しかし、その目的は技術を上げることではなく、発信力の向上を主としていると考えてほしいのだ。なぜ発信力なのかと言えば、今後最も重要なのが発信力だからである。

 これまでの内容とは結局のところ、「情報処理」としての側面が強いものであった。如何にして自分の手元にある情報を効率よくまとめるか、如何にして簡単にまとめるかという点が主であったように思われる。しかし、これからはそれをどのようにまとめるかというよりも、如何に他人に見やすいようにするかという点にシフトしていってもらいたいのだ。

 各個人がネットで様々な発言をし、発信力を高めているのが今のネットの現状である。制限されたソフト内でいかにして表現し、それを魅力的に見せるか。この点が重要視されてしかるべきである。情報モラルであっても、それは同じであり、情報の受信者としての立場以外に、情報の発信者としての立場が鮮明になってきている。

 如何にして情報を構成するかを考えることは、情報の受信者としての発想も鍛えることになる、単に技術力を上げるというのではなく、情報の担い手としての立場を明確にすることが、授業の深みにも繋がるはずである。もちろん知識面についての授業も必須であるが、そのあたりは先日の「情報フルーエンシー」の考え方にも通ずるところがあるので、そちらを参考にしてもらいたい。いずれにせよ、少しだけでも見方を変えれば、やり様はいくらでもある。
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