教育徒然

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真意はどこに

 たまたまテレビを見ていたところ、先日の誘拐事件に関連して児童ポルノの規制について話をしていた。厳罰化や海外の例を出してきたのもお馴染みだが、あるコメンテーターが、いわゆる「アニメ」に傾倒している人物が問題なのではないかと言っているのを見てまたかと思った。たった一言触れただけではあるが、正直他の番組でも色々なコメントをしている人物であり、いじめ問題についても非常に正論を翳しているにも関わらず、そういった偏見を持っていること自体非常に残念である。そういった偏見が伝染し、いじめを引き起こしている背景があると考えていないのだろうか。

 まあ、正直そういった発言をする人なので、最初から期待も何もしてはいない。それよりも本題に移りたい。最近テレビに限らず、様々な場所で真意はどこにあるのか分からない発言がされるようになっている。特にインターネット上では、それらの発言が溢れているわけだが、問題はそれが嘘やデマ、間違った情報だったときに起こる。多くは謝罪をしろという声と実際にそれらに応え、当事者のホームページやブログなどを使って謝罪をする形となる。もっとも近頃は情報を流すだけ流して、後は知らんぷりということもないわけではないが。

 とはいえ、責任ある立場の場合は大体謝罪という形で示される。しかし、この謝罪に対して何かおかしいということも感じる。何がおかしいかと言えば、ただ事態を収めるために謝罪しているのではないかという点である。近頃はネットの炎上があるために、とにかく早い段階で「謝罪しろ」という声が大きくなる傾向がある。それを収めなければならないという焦りもあるのか、謝罪文を掲載しても妙に中身が薄いと思ってしまうのだ。

 ネットの声を大々的に取り上げるのもいいのだが、実際には何がどうなってそういう事態になったのか、自分がどういう思想だから、その発言に至ったのかという答えが本来は知りたいのである。そこで相いれない部分が出てくるだろうが、それを示さなければ空っぽのまま何も進行しないのではないかと私などは思ってしまう。

 結局のところ「謝罪しろ」と言ったから謝罪するのは、そこに意見などなく踊らされた結果に過ぎない。それが先行しているから炎上し続けるように思うのだ。であれば、少し時間をおいてでもきっちりまとまった意見、自己の心情・真意を述べることの方が意味がある。スピードに流されるままに流されては作り手としても発信者としても浮かばれない。

 
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