教育徒然

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なぜネットでは荒い言葉使いが多いのか①

 あくまで私の見る範囲でしかないが、ネット上のコミュニケーションでは随分と荒い言葉づかいで罵り合いをしているものが多い。その理由について考察してみると、根本は結局自分の言いたいことを聞いてくれという叫びであろうという結果に落ち着いた。それについて述べていきたい。

 さて、ネット上で会話することと、通常の日常会話ですることの違いとは一体なんだろうか。もっとも違う点と言えば、会話の内容が目に見える文字でやり取りされるか目に見えずとも話しているかの違いであろう。こんなことは言われずともわかるだろうが、これは一度の会話で受け取れる情報量が大きく違うという点においてひどく重要な点である。同じ言葉であっても、書かれた言葉のみの会話と実際の面と向き合った会話によるものとでは、そこに表情や声音などから読み取れる点が多々あり、言葉から感じ取れる以上の情報を引き出すことが出来る。それによって状況を変えることが可能となるのだ。書かれた言葉だけでは、状況判断をするには情報が足りないというのは分かってもらえるだろうが、そこからなぜ言葉が荒くなることにつながってしまうのか。

 その理由は「何を言いたいか」という主旨と、相手に対して自分が優位に立つという感情面に即した行動にある。一つの言い合いで為そうとするのは互いの主張を述べ合うという点にあり、それ以上の相手の主張を撤回させるという行動はなかなかに骨の折れる作業である。ゆえに同じ立ち位置で会話を進めようというのではなく、初めから優位に立って見下ろすという論調で話を進めてくる。優位さに騙されてくれれば、それだけで言い合いは勝ったようなものであり、もし対等さを求めてくれば、所詮感情論で動いているので、罵倒に終始し、主旨はそっちのけになってしまう。当初の目的として互いの意思を探り、妥協点もしくは新たな接地点を見つけるというものでなければ、優位に立つという感情面に即し、言葉そのものも感情に即したものになってしまうというのが一つ挙げられると思う。

 さらにもう一つネット上に蔓延する荒い言葉使いの理由をあげたい。これは先ほどのような互いの目的のある言い合いではなく、コメントや掲示板への書き込みなどに出てくる単発の言葉に注目したものである。先日のテレビの特集の中で「死ね」という言葉が「氏ね」という言葉で代用されていたりする例なども挙げられているが、なぜかネット上ではその手の言葉が蔓延している。しかし、なぜこういった言葉がいとも簡単に使われているのか。それは前述した書かれた言葉にこもる情報量の違いにかかってくる。

 まず書いた本人にとって「死ね」という言葉にはどの程度の意味を込めたものなのかを考えてみる。すると本当に死んでほしいという考えはむしろ書かれた「死ね」という言葉に依存しただけのものであり、本当に表すならば「黙ってほしい」や「ここからいなくなってほしい」という言葉が正確に状況を表している。であれば、なぜ「死ね」という言葉を書いたのか。それは、「黙ってほしい」と強く思っているのにも関わらず全く伝わらないので、考えられる最も強い意味を持つ言葉で表そうとしているということだと私は考えている。

 「死ね」という言葉は強烈だ。大概の罵倒を含めて、それらの意味を内包してしまっている。しかも感情面においても揺さぶりをかけるだけの余地を持っている。語感としても分かり易く、字にして表したとしても良いイメージはあまりない。であればこそ、相手に伝える際に強い意味をもったものとして使いやすいのだろう。云わば「超」や「ヤバイ」、「鬼」という言葉に繋がるようなものであり、どれも「強さ」を強調した表現である。また「氏ね」という言葉に変えたことで尚更、使いやすさが生まれてしまっているのかもしれない。あまりにも強すぎる言葉故、「死」を連想させず少し柔らかくして使えるという点においても蔓延してしまった理由にもなり得る。

 加えて、現在のネットの言葉と言えば、即時移り変わるように流れてしまっている。そんな中で端的に表すために短い言葉でなくてはならず、長くても意味のある言葉は誰にも注目されないのを目の当たりにしている現状も拍車をかけているのだろう。しかし、いくら現状がそういった流れにあるといっても、あまりに目にして気持ちのいいものではない。読み手の側として色々と考察する必要がある。そして、そういった状況に対してどう対応するかは次にでも書いていきたい。

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