教育徒然

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なぜネットでは荒い言葉使いが多いのか②

 さて、前回の最後にネット上に「死ね」に代表される荒い言葉づかいを書いている側から考察したが、今度は読み手がどうお思うかについて書いてみる。

 はっきり言ってしまえば読み手となった私自身の感想では不快極まりないことこのうえない。といっても、この意見もまた主観であり、別の視点を持つと少し違って見えてくるものがある。それは見慣れている者にとってはあまりにも日常的すぎて、あまり気にならない者もいるということだ。この違い、よくよく考えればネットの内情をあまり知らない大人とネットをよく見知っている子どもという構造に置き換えることもできる。

 ほとんどネットに興味がなく、時折ニュースや検索する時に使うという大人が、偶さかネットのある掲示板を見たらどうなるだろう。そこには罵詈雑言が溢れ、とてもまとな意見が書かれているとは思えない惨状にあきれ果て、そこに子どもが書き込みをしていたり、読んでいると想像したら、とても恐怖を感じるのではないだろうか。一方日常的にそこで情報収集をしたり、交流を楽しんでいる子どもがいる場合、いつものことだと笑い、自分もまた同じことをしているのではないだろうか。事実ネットを取り巻く周囲の状況がまさにそれだと言えなくはないだろうか。

 しかし、日常的にネットに慣れ親しんだものはすべて罵詈雑言に耐えられるかというと、そうではない。ただでさえ、「死ね」という言葉そのものは恐怖感を与える。例え自分に向けられたわけではないとしても、不特定多数に向けたものだとしても、公共の場所で叫ぶ言葉ではない。だからこそ私自身の主観として、不快感を禁じ得ないと述べた。ではこういった罵詈雑言を控えさせるにはどのような指導をすべきかを考えなければならない。その一例として私の考えを述べたい。

 まず伝えたいことは、伝えたいときに言葉を荒くするのは効果的ではないということ。誰ともわからぬ相手とのコミュニケーションであるならば、今そこで言葉を荒くして最初からうまくいかない関係を作るのは望ましくない。さらに日常的に感情的な言葉ばかり使っていると、普段の生活まで浸食されていざというときの言葉が出てこないということを付け加えておく。また周りが使っているからという理由で自分も流されるままに使ってしまうのは、はじめから自分の個性をなくしており、それでいいのかということにもつなげてほしい。

 そして、子どもたちへの指導もさておき、それらの言葉を使うことを黙認している状況を改善するためにも、子どもたちに使わせない環境を築く必要がある。そういった言葉を使おうとするのを見咎める保護者の役割がここでは大きい。積極的な介入とまでは言わないが、そんな言葉を使うなよというぐらいの注意でも構わないので、関心を持ってみてほしいということも言えるだろう。

 具体的にどうしようということについてはそれぞれのケースによって異なる部分もあり、言葉も変わってくるだろうが、主旨としては以上のようなものである。
 
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