教育徒然

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「情報」を教える意味

 未だに「情報」の授業にも拘らず、別の事を教えているという話をたまに聞く。どういった学校でそういった措置を取っているのかは想像に難くない。しかし、そういった学校を責めたところで意味がない。問題は「情報」という授業を教える側が明確なる目標や目的を意識するところにあると思う。

 そもそもの目標としては学習指導要領に書いてある通りではあるが、それを建前としか捉えておらず、もっと大事なことがあるとすり替えてしまっているのが実状である。それは例えば今後の進路に関することに直結する授業を行いたいという事であろう。

 「情報」の授業単独では、進路に対して大きなアドバンテージを取っているとは言えない。一部資格の話が有用なものになってきてはいるが、それでもほとんどの場合、おまけ程度にしか思われていないのではないだろうか。その為、一部の高い才能を開花させた生徒以外、「情報」の知識技能を評価されることは少ない。

 受験主義とまではいかないが、そんな背景もまた今の「情報」の授業を圧迫しているようにさえ思えてしまう。教科の意味を考えるという点では、「理科」における米村でんじろうさんの話を知る人もいるだろう。彼もまた受験教育に相容れられず、「楽しさを教える」という教育方法に移行した例でもある。

 これらをどう捉え、今の「情報」及び情報教育につなげていくかが係っている。出来ることならば、一部の教員にしかできないのではなく、「情報」を教えることの意味、そして楽しく今後の為になる教育を行える教員を増やしていきたい。自分が一体何をできるのかはわからないが、色々と伝えていきたいというのが本音である。
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