教育徒然

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う~ん

 自分の意見をもち、偏り過ぎない判断力を有することがネットに接する上で重要だと私は思っている。しかし、私自身どこまで公平に判断出来るかと言われれば、それは曖昧であり、自信はあまりない。ところが、ネット上の意見を見ると、どうもそう思っていない様子が多数確認できる。

 よく見受けられるのが、既存のマスメディアは信用できず、ネットの方が信頼できるというものだ。いわゆる三大メディアは偏向が過ぎており、ネットには事実が述べられているといったものなのだが、その偏向の度合いについては正直証明する手立てもないので、ここでは取り扱わない。ではネットの中に偏向されない事実があるのだろうか。

 この点について、重要視しなければならないのは、「事実」であるという判断を下すのが「自分」であるということだ。三大メディアは確かにある一定の向きに従って報道しているといえるだろう。それがどの向きなのかを確定することはできないが、要旨を作ろうとするだけでも、何らかの指向性が働かないと意味のある要旨とならない。

 ネットはこの指向性がないように見える。しかし実際は指向性がないのではなく、あまりに多くの流れが存在し、混然としているために、流れを読み切れずに、指向性がないように見えるだけである。これにより一つの事実という情報に対し、多くの解釈や見解が出てくる。その解釈や意見を如何にして自分が読み解き、自らの判断をどう下すかが今問われている。

 そう考えると、自分の情報収集能力や判断能力を高く保とうとしない限り、公正な判断が出来なくなってしまう。実際、教科「情報」ではそれを求めており、「情報活用能力」として育てようとしているのである。では、今のネットを使う者たちは、それが出来ているかと言われれば、一概にそうであるとは言えない。

 なぜならば、もしそんなにも容易く身に付けられるというのであれば、これほどまでに今後の教育に必要であるとは叫ばれていないであろう。むしろ、情報モラルや情報倫理など教える必要などなく、自然と身につくものであると言われる方が今後の社会にとっては良いと思われる。

 それこそ「ネットには真実が書かれている」などという幻想や妄想を抱く人も見受けられるが、その「真実」という言葉に踊らされ、判断能力が低くなってしまったのではないかと心配してしまう。特に判断能力が発達途上の子どもたちに、妙な幻想を抱かせるようなことを仕出かさず、自らの判断や指向を育て導き出せるような役割を果たすべきではないだろうか。
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