教育徒然

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デジタル教科書?なんかダメ。それはなぜ?

 電子教科書については以前も触れたが、どうして電子教科書に馴染めないのかを考えてみる。これは提案などとは違い、単に使う場合の不便さや授業で扱う際の困る点などを書き出してみるものである。「実現させるために」といった前向きな姿勢で考えるわけではなく、なぜ使いづらいのかを探るための始点として考慮する。

 ① 液晶画面による目の疲れ

 やはりこれは気になる。パソコンを扱う授業でも同じなのだが、長時間の操作が日常になってくると、目の疲れから肩のこり、頭痛などにつながるのでどうにかならないかという気持ちになる。また自分たちがテレビを見るときは離れてみなさいと言われたせいもあるが、いかんせん子どもたちの目前に液晶パネルがあるという状態は少しばかり抵抗感はある。もちろん、様々な情報機器がある中でのことなので電子教科書に限るものではないにしても、懸案事項としては残る問題である。

 ② 資料を増やすことの意味

 教材が少ない現段階ではあまり実感がわかないというのが本音である。これまでの教科書では資料が少ないという声に応じて、より多くの資料を掲載できる電子教科書を使った方がいいということらしい。ただ、資料は大いにこしたことはないが、なくても別段授業はできるのではないかという事がちらりと脳裏を横切る。授業の質を高めるために資料を多くするとしても、これまでの教科書でうまく授業ができない人が電子教科書で授業を行っても指導は行き届かない。むしろ多すぎる資料に翻弄されてしまうのではなかろうか。

 高いレベルで指導ができる人用のツールとしてならば、電子教科書は意味があろう。しかし高いレベルで指導する人はもともと電子教科書に頼っていない。「まあ、あれば便利かもね」程度の認識である。資料のCG化や動画などで児童生徒の興味を引くという点では便利なのだが、これもまたどこに注目させるのか、資料の深部を児童生徒に読み取らせるだけの指導力がないと意味がない。

 などとここまで書いて、ネットを色々見てみたらこんなエントリーがあった。

全ての小中学生にデジタル教科書を配る理由とは

 いやはや、やっぱり同じように考えている人はいるんだなと思った次第。こちらの方の電子教科書の考えは自分とかなり似通っている部分がある。是非とも他のエントリーについても読んで頂きたい。もちろん細かく見ていけば違う点もあるのだろが、概ね同意見である。他にもデジタル教科書ではない教育でのデジタル活用を考えてみたなど、とても参考になる意見がずらりと並んでいる。

 ③ 板書とノートに写す作業は無駄?

 わざわざ黒板に書く作業は必要なく、ノートもカメラで撮っておけばらくらく。という使い方もできる電子教科書と電子ノート。これまでの煩わしい作業から解放されて、効率的に理解させる時間を確保できると考える人はどれくらいいるだろうか。こういってはなんだが、そんな甘い考え方をしていたらとても複数人数に教えることはできないだろう。全員が大体同じ程度の学力で理解する速度にそれほど差がないような習熟度別を全教科に適用できるなら話は別だが、それだけ教員の人数が確保できるのであれば、財政上の心配など端からしていないだろう。

 ノートに写す作業にどれほど教育効果があるかは分からないが、生徒の写し取る速度や要点の整理の仕方がそれぞれ異なることで生まれる効果がある。それは机間巡視をする際の個別指導に活かされ、単に内容を話すだけではない授業につながるのである。

 私の実践として言うのであれば、例えばエクセルでVLOOKUP関数を教える際に基準となる表は教材として配布することが出来る。わざわざ自分たちで表作成を行わなくとも、最初から関数だけを教えることは可能である。しかし、私は必ず全員に表を作らせる。いわゆる板書とノートの書写につながると思うのだが、要領のいい生徒は早々に表を作り、自分で問題の答えを導き出そうとし、タイピングの苦手な生徒は問題の解説に至るまで表作りだけを一生懸命やることになる。

 そうすると生徒は自分の進度で物事に取り組むことが出来る。タイピングが苦手なら指定の時間をタイピング練習に充て、別の生徒は問題に取り組むことができる。この差を利用して、教員はそれぞれの個別指導を行うことが出来るのだ。

 とはいえ、書写に使われていた時間を少しでも新しいことを覚えるために使う時間にした方が効率がいいと思われる方もいるかもしれない。しかし、こういっては何だが、それは以前の詰め込み教育に戻るような気さえしてしまう。今の教育方法がすべてに勝るというわけではないにしても、電子教科書でないからこそ与えられる学習の意味を考えてもいいのではないだろうか。新しいものと古いものを比べるときには、どうしても新しいものの優位性を強調しがちな場面がたびたびある。そして、結果としてあれがよかったこれがよかったなどと言われるのは果てしなく面倒くさいといわざるをえない現状があることを知ってほしいとも思うのである。

 ④ 自由度が低い。

 電子教科書に限ったことではないのだが、教材を作るにしても自由度の低さや制限によって、自分の思った通りのものができにくいと思われる。よく聞かれる例として挙げるたいのだが、ワードなどでクリップアートを文章に貼り付けたいとする。その時にどうしても文章にかかってしまい、うまく配置ができないというものである。やり方を知っているものとすれば、それは「文字列の折り返し」などで、「前面」に持ってくるという設定に変え、どこにでも自由に配置できると思うだろう。しかし、知らないものからすれば、わざわざ試行錯誤する時間をとるよりはさっさと諦めて、あとから印刷したものに糊で貼り付けて印刷してしまえばいいと思うのは自然の流れである。

 今挙げたものは簡単な例にすぎないが、色々やりたいと思うほどに様々な制限にぶつかるようになる。そして本来の授業に時間をとられるのではなく、一つの教材にのみ時間をとられてしまうのは、はっきりいって効率的ではない。もっと直感的に作業できる機材があればと思うが、現段階の機材やアプリケーションでは不便さや自由度の低さが目についてしまう。時間短縮になった部分もあるが、それらが当たり前になっている分、他の面でも何とかしてほしいという要望に応えるには機材のスペシャリストになる必要がある。それでは本末転倒である。

 とまあ、こんな感じで電子教科書に関する不満を考えてみた。他にもあることはあるのだが、実際に使ってみないと分からない部分だと思ったので割愛させていただく。
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