教育徒然

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若者の伝えるもの

 社会人向けの情報教育をあれやこれやとまとめていたら夜中になっていたのだが、その時ふと思いついてテレビをつけた。すると、そこに見覚えのある人物が何人か出演しており、「若者は幸福か、不幸か」とのテーマで議論を交わしていた。まあ、それを見て非常に気になることが、自分としても意見を述べたいと思うと同時に、その現状に対して教育はどういうことをすべきかなどを考えてみた。これでまた「社会人向け情報教育」のまとめが遅れるのは言うまでもない。

 結局「朝まで生テレビ」の醍醐味である田原さんの言い分についてはどうでもいいかなとしか思えない。私の捉え方としては「政治においても経済においても危機的状況に置かれている現在の日本で、なぜ若者は幸せだと思えるのか。甘えた日本の若者がもっと頑張らなければ、将来はもっとひどくなることは目に見えている。中途半端な幸せかみしめてないで、自立してもっと幸せになる方法を考えやがれ」というものである。正直途中1時間ほどの感想なので最後がどうなったかは知らない。

 ただあの構図で思ったことは、いわゆる主流のバラエティ番組に似ているなという感想である。大物芸人が司会をして、ひな壇芸人と呼ばれる若手が一部の話を盛り上げ、司会者がオチをとる。そんな見方であの番組を見ると、1時間程度で見るのがつらくなってしまった。個別の話は色々あるのだろうが、結果として田原さんの意見の周囲をぐるぐる回る論争なので、私なりの田原さんの意見が見えると、そこから先は付属物なのでどうでもよくなってしまった。

 とはいえ、放送中の意見と出来事で自分なりに見えてきたものがあった。それは次の点である。

 ① 幸せだと言っている若者に不満な年長者
 ② 年長者をあてにしない若者
 ③ 将来を考えさせる教育

 まず①についてである。この意見はどの程度年長者の方々に流布しているのかはわからない。しかし、少なくとも将来を憂えている方々からは、現代の若者に不満を抱えているのは間違いないだろう。いわゆる若者批判ととれる「最近の若者は~」の話が流布していること自体が、若者に対する不満が表出していると私は考えている。ちなみに「『最近の若者は~』論は古代からある」という話は少し調べただけでも元が曖昧なので気を付けた方がいいだろう。

 さて、そんな若者に不満を抱える年長者だが、あの放送の中ではまさに田原さんがその立場になるのだろう。ではそんな年長者にしてみれば「幸せな若者」とはどのような若者をさすのか。それは、女性出演者に対しての田原さんの発言に垣間見えたような気がした。石巻でボランティア活動をしている高橋麻帆さんが「ボランティア活動をしている若者はとても生き生きとして幸せを感じている」といった内容を言ったことに対して、「ボランティアでどうやって食っていくんだ。金がなきゃボランティアできないだろう」と言ったのである。

 つまり自分で金を稼ぎ、生活を安定させたうえでボランティアやらなきゃしょうがない。その上で幸せを感じるならば、それは幸せなんだろうと言いたかったのだと思う。そして自立する上で必要になるのが金であり、学生やらただ安定収入を求めるだけの若者は幸せを語る意味はないと切り捨てているのではないだろうか。そうなると「幸せを語るな」と初めから言っているのと同じである。そもそも「若者は幸福か不幸か」などというテーマを掲げている時点で、「若者」が自分たちの立場を述べるのではなく、年長者からの視点で圧力をかけているのだから、ああいった見え方になるのは必然である。

 では次に②についてである。これは本題に絡みそうで絡まないやりとりのなかで気付かされた。宋文洲さんが「洗脳されている」という趣旨の内容を何度か話した時に隣の荻上チキさんが、半ばあきれ気味に「なんでも洗脳っていう。面白いよね」と発言しているのだ。また高橋さんが自身のボランティア活動の説明の時に福島の瓦礫処理について問われたとき、「どうしましょうね」とこちらも半ばため息気味にもらしている。何が共通しているのか自分にもよくわからないのだが、どうもこの「どうにもしようがないのではないかという状況に客観的立場で呆れている」という仕草があるように感じるのだ。

 これが現在の若者と言われる人に共通しているように思える。たびたび若者は現在の危機的状況は分かっていないと言われている。しかし、実際には半数近くが将来に不安を感じるように危機的状況であるという事は知っているのだ。ところが、それは他者からの情報を取り入れただけなので客観的視点に終始し、現在の自分の状況と当てはめても実感しづらいことまで含めて情報としてとらえている。

 そうなると結局、実感でさえも認識として「情報」に変化させられ、全てのことに対して冷めていってしまうのではないかと考える。そして冷めた見方としてでてくるのが、金銭に対しての感覚である。何度か趣旨と違うにしても経済面での自立が出てきていたわけだが、途中のアンケートや千葉麗子さんの発言に「年収で幸せを考えてほしくない」という反応や「結局金か」という言葉が出てきている。

 この「経済」による幸せの話こそ若者が冷めた見方をする一因であると思うのだ。別の番組で貧困層の女性について特集していたのだが、貧しくとも自分たちが幸せであるといった女性たちに対して、司会の宮根さんが「今が幸せでいいから、一回バブルの時を味あわせてあげたい」と言ったのである。正直これに対して唖然とした。なぜわざわざバブルの事を味あわせる必要があるのか。現在の20~30代前半は散々バブルの頃は良かったとの話を聞かされている。なぜこんな不況なのかという嘆きをきかされている。そんなことは実感していないのだから、聞かされたところで冷めるだけである。

 しかもバブル時代に一般庶民が出来た大半のことは、現代の若者は不可能ではない。それどころかより安価でできることもあるとしれば、経済的な幸せを享受していた年代層の人間が何に憧れるのかを理解できず、経済的成長も所詮そんな程度の事であるとしか思わない。今更昔に戻れと言われたところで戻りたくないのだ。現実を知れと言いたいのは年長者ではなく、若者が年長者に対して向けて言いたいことである。だからこそ若者は年長者で支えられている、この社会をあてにしていない。自分が年長者たちのシステムに組み込まれていることを承知の上で、適当にやっている。

 なぜ年長者たちのシステムを壊さないかと言えば、あるものは利用させてもらおうという強かさもあることを知った方がよい。井戸実さんの「俺のとこは景気がいいもの」という発言はとっくに年長者たちのシステムをあてにしていないことにつながっていると思う。

 また「若者が幸福を感じる瞬間」についてアンケートをとり、その上位が「音楽を聞くこと」「家でテレビやアニメを見ること」とアナウンサーが述べたときに、田原さんは「そんなものは幸せではない」と一蹴し、他の出演者からは苦笑が漏れていた。田原さんの一喝は①について述べたとおりの事からきており、初めから今の若者の意見を採用するつもりがない自己の意見から述べられているのだが、他の出演者の苦笑は少しばかり看過しにくい。

 おそらくあの場の出演者のほとんどが「そんなことで幸せを感じるのか」との僅かながらの蔑視を感じ、それが苦笑になったのではないかと思う。東浩紀さんは田原さんとの話の中で、「『幸せだと感じる若者』は幸せなんだからそれでいいし、そいつらバカなんだからしょうがない」とのことを述べられていたように思う。それこそ実際に、そういった若者と一緒にされたくないという思っており、他の出演者もそう思っているのだろう。

 だがそういった若者とともに過ごすということを考えなければならないのもまた事実である。それぞれの商売の客として、または自分の読者、さらには協力者として、あの場にいる人たちはその若者を直接的にまたは間接的に関わっていかなくてはならないのだ。ただ利用するだけ利用して捨てるのか、それともパートナーとして過ごすのかはわからないが、いずれにせよ蔑視しているのであれば、いずれ自分もまた年長者となった時に切り捨てられるものとなりかねない。

 先ほどあげたアンケートを読み上げたときの出演者の反応で、「アニメ」という言葉にも苦笑を深くしたこともあるのかもしれない。いわゆるオタクかと。しかし経済的面や海外への展開として見れば、日本のサブカルチャーは最もアピールに成功としている分野なのでむしろそれを利用していくことを考えると、苦笑を深くするよりはそれはいいじゃないかと好意的に受け取るべきだと思う。まあ、反応の中には「ここにもそんなことがでてきたか」程度の思いなのかもしれないが、別分野の成長として考えることが今後につながると思われる。


 ここで③につなげて、教育に携わるものはこういった社会に対して、今の子どもたちに何を伝えればよいのかを考える。もっともやってはいけないことは将来を悲観させる指導をすることではないだろうか。今の社会はダメであるとの論調を繰り返し聞かせるのではなく、自分たちが何をどのようにするかで将来が変わること、自信を持って進めばいいという事を後押しすることが現代の教育に求められていると考える。

 docomoが考える2020年の世界という動画がある。発表されたのが2010年前後らしいのだが、内容そのものはあと10年前後でそこまで行くのは難しいのではなかろうかと一般的には思われるかもしれない。だが、非常に夢のある話でそんな世界が実現されるのがとても楽しみだと個人的には感じた。一方同じようなマイクロソフトの動画があるのだが、こちらもまた約10年後の世界を描いていたが、確かに10年後までに実現可能だろうというような、いわば現実的な内容だったので、あまり面白くないなと思った。

 ところがニコニコ動画でその動画が話題に上った時に、docomoの動画で流れたコメントの大半が「こんなこと無理に決まっている」「こんなこと夢見るのバカだろ」というような否定的な内容が多かったのだ。一方マイクロソフトの動画は「まあ、これはあり得るよな」「これぐらいが妥当だろ、docomoは夢見すぎ」といった内容が流れたのである。一部調査では、ニコニコ動画のコメントの大半が中高生であると発表している。実現できるかはともかく、面白いアイディアとして見る分には圧倒的にdocomoの方が楽しそうなのだが、子どもたちにとっては現実的な方がよいらしい。

 こういった状況は子どもたちの現実に対する悲壮として表れているのではないだろうか。まだ日本の社会は明るい現状が見えづらい。しかし子どもたちに、わざわざ社会の悲観論を押し付ける必要性はどこにもない。自ら学びとるのであれば、それは打破する力を生むことが出来るのに、悲観の教えをすることはただ打ちのめすだけの効果しかない。だからこそ将来を見据えた教育を行うために、自らの可能性を信じさせる教育を推進していく必要があるのだ。

 子どもたちから自分も含めた年代のいわゆる若者層に思うことがある。どんなに今の社会がダメだと言われようとも関係ない。自らの道を確実に進めよう。自分たちが幸福か不幸かなど適当に周りに考えさせればいい。今を築けるのは今の自分たちでしかない。その進みが遅くとも、いくら文句を言われようと憧れられるようなものでなくとも、今を踏みしめて進んでいこう。

 今の生きざまを示せ。そして、それを伝えろ。悪い例と良い例のどちらかになれば上等だ。
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