教育徒然

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

デジタル教材について すまない。またこれなんだ。

 さて、なんだかここ数日デジタル教材について考える材料があったので、またもや扱ってみようと思う。まずこれからの教育を担う人々で考えるICT教育 「未来の教室を創造せよ!—デジタル化への展望—」。U-stで見れたらしいのだが、時すでに遅しということで、せめてtogetterでどんな話があったのかをざっと見てみる。

 さて、このデジタル教材等の話でいつも誰かしらから出てくる、現場や現職教員の「嫌IT」等のことなのだが、果たしてどこから出てくるのだろうかと不思議に思うことがある。正直苦手にしている人は多いと思うが、それでも苦手は苦手として出来るだけ取り入れようとしている教員は少なくないように思う。いずれにせよ導入がトップダウンで行われるのであれば、対応せざるを得ないので、現場が反対しているどうこうといった話はあまり意味がない。また情報機器の導入が遅れているというのであれば、それは予算や運営に関するものなので現場としての責任を問われても、ないものはないから使えないということしか言えない。

 加えていうのであれば、それぞれの教員はある程度情報機器を使えるが、突発的なトラブルに対応できるほどの能力はないと自覚しているために、あえて使わないという選択をしているのかもしれない。

 情報機器を取り入れた授業を画策していても、そのメインで使う情報機器が突然使えなくなってしまった場合、授業内容の変更を突然強いられる時の焦りはとてつもないものだということである。私自身、情報の授業を行っている時に全員がパソコンを使える状況を想定して課題を用意していたのに対して、起動するパソコンが出席生徒数の半数だったときに、「さてこの授業をどうやって乗り切ろうか」とひたすら焦ってしまったという経験がある。普段使わない人であれば尚更、その授業に関してどう乗り切ればいいのか不安になるのもまた当然である。

 次に県立袖ヶ浦高校 情報コミュニケーション科の話が話が合ったらしいのだが、これについては特定学科の話ということを考慮しなければならない。全員がipad2を購入できる経済状況と、志望生徒が他よりも情報に対しての意識が高いだろうということがうかがい知れる。最もこのレベルの生徒たちが、現在のデジタルネイティブ世代に当たるという意味では大きな参考事例になることも確かである。

 何人かのツイートを見てみると授業が面白そうというのを見かけるのだが、あまり鵜呑みにしてしまうのはよくない。よく考えてほしいのだが、どんな授業であっても、授業の形態というのはそれほど変わらない。もちろん使うツールに夢を見るのは悪くないが、それはツールの力というよりは授業の指揮を執る教員のやり方次第で面白くなるかが決まるのだ。「デジタル教材でこんなに授業が変わりました!」というのは、その指導レベルが高いということであり、所詮ツールに過ぎないものをもてはやすのは軽率である。

 さらに理解度の低い生徒を相手にデジタル教材であれば、理解度が高まるかもしれないと考えるのも些か不安がある。もちろん一定の理解度を示している相手にデジタル教材を見せることで、良い影響を与える可能性はある。しかし、その理解度による適切な処置の一つとして選択に取り入れられるという程度のものであり、何が分からないのかを指摘し、どこで混乱しているのかを明確にする作業が行われなければ根本的解決には至らない。つまりは個別指導にまさるものはなく、デジタル教材はあくまで補助と考えるのであれば、その必要性が薄まってしまう。

 まあ、途中の「ipad使ったら大学入れるんですか」という質問が出るのは仕方ないだろうというか、そういう認識の人がいるのもしょうがないと思う。むしろデジタル教材を使うことで学習効果が高まると期待しているのが窺える話ととった方がいい。教員にしてみても、デジタル教材を使った場合、これまでの生徒よりも学習の効果が高まっていなければ、何のために導入したのかと問われるのではなかろうかと考えてしまう。そのあたりを明確にした日本におけるデータ検証が必要なのだが、なぜか海外のケースを出してくるだけで終わってしまうのも何とかしなければならない。

 ちなみに話しが少しそれるがどうして紙にプリントアウトした方が圧倒的に間違いに気付きやすいのかという視点は面白い。これもまたデジタル教材を使う上で解明しなければならないものである。画面上で間違いが把握しにくいというのは、学習する上でマイナス効果につながってしまう可能性すらある。やっぱり紙の方がよかったんだという結果に落ち着かないようにするためにも、この研究は必要だろう。

 用務員のIT版は必要なのは確か。正直自分自身そんな立場にあるので、よくわかる。そちらのICT支援要員でやっていきたいと考えることさえあるのだが、正直待遇の扱い方があまりにも低いと感じる。需要は多いのに、給与は払えないというのもおかしな話である。またベネッセの支援要員は小中学校がメインであることも考えると高校派遣は難しいか。まあ、まず予算に組み入れられていないのも確かなので実現するかどうかさえ怪しい。

 気になるのは校務のIT化なのだが、これこそどこをIT化するつもりなのかが見えづらい一番の部分である。ちなみに「公務」とツイッターには書いているのだが、「校務」であると考えてよいのだろうか。単なる誤字であるならばよいのだが、現場に関わっている人は「校務」を「公務」と書く人はほぼいないので、それこそ現場との意識差ともとれなくもない。単なる揚げ足取りなので、気にする必要はないのかもしれないが一応。

 さて、校務のIT化について袖ヶ浦高校の永野先生が何か言っていたかが気になるところである。正直授業のIT化は教員のボトムアップであればすぐにでもできる。しかし、校務となると、それは学校の運営に関わってくるものであり、トップダウンによる改革が軸で、外部との連携及び協力が不可欠となる。校務分掌でさえ各地域でバラバラな状態を果たしてまとめきれるかという点においてみると、かなり難しいのではないかと考えてしまう。校務をIT化するという事は揺るぎない統一規格も必要だという事である。学校が変われば転職したのと同じくらいやり方が変わってしまうと言われる現状をどれだけ認識するかが重要な点だ。

 電子黒板についてもでてきたが、電子黒板であれ、電子教科書であれ、授業の中で重要な点は児童生徒にどれだけ内容を理解させるかである。その過程の中で電子黒板、電子教科書というツールに有用な点があるという事にすぎない。児童生徒の理解度を確かめながら授業を進めるには、教員の授業力が高くなければならない。

 生徒の頷き、目線、ちょっとした仕草で授業内容が頭に入っているか、理解ができているかなどを判断するのは教員である。パソコン越しに授業をしていると、生徒の反応が見えづらいということを私自身経験している。デジタル教材を使うことに私は抵抗感はないが、授業として注目させたいものに注目させる技術がより必要になってくることは自明であると考えている。大学などでどれだけの学生が教員に対し目線を向けているかを考えてもらえると理解は早いかもしれない。そういった点も踏まえて電子教材に取り組んでいく覚悟が必要である。

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

Twitterから

メンション有難うございます、拝読いたしました。
まず、中心にあると感じたのは西田さんの著書『デジタル教科書のゆくえ』の内容であり、上記の記事で指摘されている項目の大部分は網羅されているというか、ある程度関係者の答えは正しい方向に出ているのではないかと思います。可能であれば、読後の意見交換などもさせていただければ…。

私も一応3年間、塾という場ではあるもののセンセイをやっていたので、本質は理解を高めてあげること、デジタル教材はあくまで補完であることは認識しています。結局は授業力が肝要で、校務(誤字はたぶん変換ミス程度の話だと思います)の煩雑さ、殊更紙からの転記作業などが本来の授業研究に充てるべき時間を奪っている、それを低廉なソリューションにより現場で解決できるようにしないと、という話がありました。教師間の情報共有で授業力を高めるべき、という話も何度も出てましたね。

さて、拝読したところ教育の現場に深く携わっている方とお見受けしますので、折角ですから現状の問題を克服するための考えうる処方箋を、是非次回の記事にしていただけませんでしょうか。鋭いご指摘が多数あるだけでなく、IT用務員的な業務に携わっていらっしゃるとの事なので、是非とも現場の考える解決策を伺いたいです。
宜しくお願いします。

tatsunomo | URL | 2012-03-04(Sun)02:03 [編集]


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。