教育徒然

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ネットの実情を知る機会はあるのか

 これまで子どもの教育によくないとされてきたテレビやゲーム、漫画などと同じように、ネットもまた教育上よくないと思われている側面がある。それ自体は繰り返されてきたことであり、あくまでネットがその俎上にあがったとうことでしかないのだから。しかし、そのネットの不安要素は様々な点で広がりを見せ、結局のところ何が危険なのかを察知できずにいることが問題である。

 だが、ネットの実情をどのように伝えるのか、方法はどんなものがあるのか、それを誰が伝えるかというところで足踏みしているのが現状である。それにしてもネット社会について書かれている本や危険性を意識してくださいという警告などはあちこちで出されているのに、それが実際広がっているかを意識できないのだろうか。

 それは、ネットの便利さの影に隠れてしまったり、それほど大きな問題が起こっていないという認識だったり、そもそもネットについてよく知らないという実態だったりするのかもしれない。というよりむしろよく知らない人たちはネットの広く深い実情を知る機会があるのだろうか。

 ネット社会について知るための手段として最も手っ取り早いのは自分がネットについて興味を持ち、次々と調べるようになっていくことである。ネットをよく使う人物にしてみれば、断片的に見えてくるものがあって、そこからないが危険なのかを一部察知して伝えることが出来る。とはいえ、それほど興味を持って伝えてくれる人はそうはいない。

 加えて、ネット社会について調べていくと陥ってしまうのが、ネット上の出来事がやたらと個人の中で大きくなってしまう傾向にあることも注意しなければならない。ネット上の出来事が一部のコミュニティ内で取り上げられたものでしかないのに、自分で調べた、所属していると贔屓目からよりオーバーに現実に伝えようとしてしまう。

 本当に危険であっても所詮ネットの出来事としか思われない部分もあり、実際の危険度よりも半分程度の危機意識でしか伝わらない場合も多々ある。この齟齬は非常に歯がゆい。ネットの危険なコンテンツは多数あるのと同時に良いコンテンツも多くあるが、それを理解してもらうための素地ができていないことが分かっていると、徒労感は増す。

 そういった点で生徒たちにいろいろ伝える分には楽な部分がある。彼らの好奇心をネットは様々な形で満たしてくれる。だが、そこに大人たちはなかなか加わってくれない。何でもかんでも調べて枝葉を次々伸ばしていくようでないとネットの実情を知る機会はないのかもしれない。

 そうなるとせめて知識として蓄えてほしいのだが、「よくわからない」からという理由で逃げ出してしまうことがある。この大人たちのネットへの消極的姿勢をどうにかすることが今後の課題なのであろう。
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