教育徒然

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視野を広げる情報教育

 ネットを使うことで色々と便利になった点はあるが、最近ネット内で発言する一般の人の傾向というのはどうも視野が狭くなっているのではないかという疑念がある。自分が何となく感じていることにすぎないので、確証はない。しかし、ネットにおける情報発信についても教育で扱うこと考えると、いくつかの注意点を持って臨みたいと考えている。

 まず個人による情報発信には少なからず主観が入ったものという前提で受け止めなければならない。ここで一つ目の注意点。主観が入った情報発信である以上、事実と照らし合わせる作業を必ず行う必要性がある。情報発信した本人に確認するなり、自分で事実を調べるなりしないと、単に情報を受け取るだけである。他者の主観を事実と誤認してしまったままでは、周囲をより困惑させる火種となりかねない。

 また二つ目の注意点として、情報発信を冷静に見守ることが必要とされる。個人で発信した情報の中は、主観が含まれている以上、その内容が論議されることもある。論議自体は結構なことなのだが、それに対する周囲の反応が理性的でなくなっている側面がある。言うなれば議場で争っている二人の論争に、周囲がどかどかと土足で入り込んで「こいつは正しい。お前は何が不満なんだ」と大声でどなり散らしているようなものである。その声で本題が聞こえなくなっては意味がない。喧伝効果はあっても、詳細が何も伝わらないのでは意味がない。

 加えて三つ目としては気安い同調・否定意見をだすくらいなら、意見を考察するとともに批判を受け止める精神を個人がそれぞれでもつことである。情報を発信したことに対して、同調や否定することは当然あっていいのだが、それに対してさらに考察を進めなければ、自己の意見とは言えない。また批判も聞かなければ、自分の成長はあり得ない。

 厄介なのは、他人に判断をゆだねたにも関わらず、いざその判断が間違っていたとなると、自分に責任はないとばかりに途端に手のひら返し、大多数の意見に流れ、痛烈な批判を繰り返す。自己の意見とばかりに他の意見を振り回すのは見苦しいものである。

 これからネットの意見を見ることが多くなるのであれば、個人の視野を広げ、まっとうな批判ができるような教育を促していく必要があるだろう。私の狭くなっている視野もまた広げつつ、今後の教育に取り組んでいきたいと思う。


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