教育徒然

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教育は高度情報化社会に何を求めるか

 前回は社会が教育に求めるものとしたが、今回は反対の視点から考えていきたい。前回のエントリーで社会が教育に求めるものは「情報の制御」と「オリジナル情報のデジタル構成化」と挙げた。(ちなみに「オリジナル情報」とは新生された情報に通ずるものである。)これを踏まえて、教育は社会に一体何を求めるのか。

 「情報の制御」にせよ「オリジナル情報のデジタル構成化」にせよ必要とされるのは、情報を扱うための「情報機器」と情報を扱う場の「インターネット」である。これが整備されなければならない。もっとも全国的に見れば大分普及も進んでおり、今後の進行状況なども踏まえれば遠からず達成されるだろう。

 しかし環境整備だけが行われても、そこからが進んでいないのが現状に近い。まず教える側である人材の明確な基準が曖昧である。教科「情報」を教えられる教員はいるが、それはあくまで知識面が重視されたものであり、高度情報化社会が求める人を育成できる技術を有しているかは分からない。ゆえに知識を備えつつも、「情報の制御」手法や「オリジナル情報のデジタル構成化」の経過を披露できる人材を教育は欲している。

 さらに十分な受け皿を用意することが早急に求められている。教育を受けた人物は、その後社会に進出することになるのが当然の流れである。その際、教育の成果を正当な形で発揮できるだけの環境が社会に整っているといえるだろうか。システムエンジニアなどの専門職においては、仕事に見合った形での報酬になっているかがたびたび話題にされるなど、笑い話にもならないような状況のまま放置されているといったことはないのか。

 前回も取り上げたサブカルチャーでは、個人の活動がネットにおいて広く認知されている。これに対し、社会に活かすはずの技術が正当な対価とならないのは教育する側にとってみれば、詐欺を行っているような感覚になってしまう。

 こういってはなんだが、個人活動レベルを意識した教育ならば、今のままで対応できてしまうのである。そこまで高度なことを教えずとも、一般活動レベルの中である程度対応でき、それに対し、最低限の知識を教えるだけで事足りる。情報モラルについても、今の子どもたちが大人となり、環境整備が進むようならばそこまで意識されるものでもなくなっていくと思われる。

 しかし、それでは困るというのが現状である。それは多くの場合、子どもたちがインターネットに触れることで子ども自身もしくはネット社会の双方に害があるのではないかという懸念がそこに存在しているからに他ならない。将来的にもこのまま情報モラルが育たたなければ、今のネットが抱える問題点をそのまま持ち上げることになってしまうとの憂慮がある。だからこそ教育で子どもたちに情報モラルを植え付け、正しい使い方ができるようにとの要請があるのだ。だが、それは単なる教育への押し付けになっていないかを考慮しなければならない。

 教育面からは環境整備と人材の充足などが行われることで取り組むを教育内で多様化させ発展させることはできるだろう。しかし高度情報化社会自体の自己把握と周知に取り組まなければ、いくら教育に任せても正常な方向へと進むことはない。

 ネット社会はスピードや効率が肝になるとよく言われるが、秩序ある高度情報化社会に向かおうとする流れは決して早くはない。国や政府や企業のせいだと責任転換する声も聞かれるが、実際にはネットに接する人たちの個々の対応こそが最も必要なのだ。直接的に関わる人たちはもちろん、間接的に関わる人も寛容と理解する努力を持ってもらうことを望む。

 ということで教育から高度情報化社会に求めることは、「情報機器等の環境整備」、「教育人材の充足」及び「高度情報社会への理解と周知によるネット社会の安定」である。




 
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