教育徒然

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「教員の資質向上」につきまとった違和感

 ここ数日「教員の資質向上」について考えていたのだが、どうもすっきりしない違和感を常に感じていた。一体何が腑に落ちないのかを突き詰めて考えてみた。

 そもそも「教員の資質向上」を掲げているということは、現在の教育現場そのものが複雑な事情を抱え、対応が難しくなっていることを物語っている。それと同時に、現職の教員では乗り切れない場面があることを示している。変化する時代の波に教育が乗りきれてないことは確かであり、多忙を極めた教員がパンクしている姿もよく見受けられる。だからこそ、「教員の資質向上」がテーマとしてあがっているのだ。目指すべき今後の教師像として、具体的に以下のリンク先で色々と述べられている。

資料1 基本制度ワーキンググループ報告(案)

 一見したところ納得できる部分も多いが、どこまで現実的に対処できるかは今後の経過を見なければ判断はできないだろう。しかし私が感じた違和感はそういった「教員の資質向上」としてこうあるべきだと示された事例にあるのではない。当初は、「現実的な計画ではない」と感じたのかと思ったが、よくよく考えると全く違う点にあった。

 私の感じた違和感とは、「目指すべき今後の教師像」に近い教員たちが全く目立たない点であった。教育を取り巻く環境は変わり、対応が難しいと言っても、教員の中には学校生活の様々な場面で活躍できる人物がいる。それこそ「学び続ける教員像」であり、日々研鑽し続けているのを確認できる。しかしそういった人たちは正しく評価されているだろうか。

 生徒たちや保護者、地域が正しく評価していればいいという話ではない。目指すべき教員を掲げておきながら、本当にそういった教員がいるかどうかを判断できなければ、いくら資質向上と言っても本当に向上しているのかもわからないままである。

 これには「教員は評価されるのを嫌う」という論調もあり、評価そのものを教員が忌避しているから判断できないとされる時もある。しかし実際は評価されたくないというより、本当に評価できるのかという不信感からである。生徒たちからとても評判のいい授業を行ってはいるが、部活動ではあまり目立つ成績を残すことはできない教員と授業そのものは一般的だが部活動で全国大会に導いた教員を正しく評価してくれるだろうか。またその評価に納得できるだけの説明をしてくれるだろうか。そんなことが随所にある。

 いずれにせよ教員の資質向上というのであれば、まずは現場を見渡して目立たずとも学校教育に尽力している人を当人の負担にならないよう舞台に押し上げるべきである。

 
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