教育徒然

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看過されたままでいいのか。

 以前にもあったことなのだが、生徒同士の会話の中である単語を聞いた。その単語とはある有名なスナッフビデオの名前であり、それを見たことについて生徒が話していたのだ。2年程前にも同じように生徒がそのスナッフビデオについて話しており、その動画を友人にも見せている現場に出くわしている。

 2年前は生徒指導部長や担任、及びコンピューターに詳しい教員と相談して、一番最初にビデオを見せていた生徒から事情を聴くことになった。その生徒も自分自身で探したわけではなく、学校に関係のないところで見せられたということだった。そこで、その生徒が動画を見てどう思ったかを話してもらうと、不安や不快感、嫌悪感を生じたとのことだった。よって、周囲にもそう感じる生徒がいるかもしれないので、見せまわることはよくないと諭し、もしまたそういった動画を見てしまう機会があれば教員に話してみてはどうかと提案した。本人としても自分に抱えきれない感覚があったために、周囲の友人に見せた側面があり、一部の心のケアはできたのではないかと思われる。

 しかし、事ここに至ってやはり情報は相当低年齢まで浸透していることが図らずも証明されてしまったように思える。2年前でさえ、ネット上にそういった異常な掲載があるのは承知しており、誰でも見ることが出来る環境に対して危機感を持ったのだが、今回の会話をきいてさらにその危機感は募った。

 ただ、その危機感はネット上に危険なコンテンツが溢れていることではない。正直ネットに様々なものがあるのは当然の事であり、その規制をしても何ら意味はない。問題はその危険なものに対して、対処すべき大人が中身を知らないままに無関心なことであり、また逆に中身を知らないまま、むやみやたらに積極的対応をしようとすることである。

 まず無関心であることは以前から指摘している通り、ネットの事情をよく知らない大人たちに子どもは辟易していると言っていい。相談しようにも知らないのであれば初めから候補に入らないのである。また実態を曲解し、ネット事情を規制したがる大人に対しても子どもたちは否定的になる。自分たちが楽しんでいるものを規制して自由に使えなくさせてしまおうというのであれば、反発が起きるのは当然である。だが、しっかりと良い点と悪い点について話ができる大人に対しては、自分の考えや感じたことを話すことが出来るのだ。

 だからこそ、大人は自ら体験してネットの良い点悪い点を自分なりに子どもたちに話さなければならない。一番重要な点は、子どもの体験をフォローするための知識を取り入れていると伝えることなのだ。ネットについて何も知らないと開き直っても構わないが、それならば分からないから教えてほしいと子どもに請ってでもいい。大人がネットに向き合って触れていくという姿勢があると知ってもらうのが、現況を変える最大の対処である。
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