教育徒然

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情報選別

 今は誰であろうとネットを使えば情報を容易く入手できる状態にある。しかし、その容易さが今後の情報化社会を締め付ける要因となるであろうことを物語っている。

 東日本大震災のSNSの活用は一際目立っていた。比較的被害が少なかった地域では、連絡を取り合う手段として重宝し、被害が大きかった地域では、被災した直後こそ使えない環境であったものの後の情報発信の手段として大きな役割を果たしたと言える。しかし、その中で出てきたデマ情報に翻弄される側面を浮き出しとなってきたのも確かである。

 最近のネットの使い方として、情報の発信・表現に主に重きを置いているが、これだけあちらこちらで情報が発信されていることを考えると、情報の検索・収集についても状況を見直さなければならない点にきていると思う。基本的には情報リテラシーを鍛えるべきだというものだが、事はそう簡単ではない。どう情報リテラシーを鍛えるかという方法論にも係ってくる点であり、今後の社会を見据える上で見過ごせないものがある。

 私たちはテレビや新聞、ラジオ、インターネットに溢れる情報をどう処理しているだろうか。各メディア媒体の中でテレビ、新聞、ラジオ等に関しては大手の会社が取り仕切っていることや一部公共性を維持しようとする姿勢があることで、細部では指摘が違うものの大まかな事実については大体共通した内容である。これにより、細部の違いを意識することで情報の正誤を判断しようとする。

 ところがネットは大手企業は別として、数ある情報は個人から発信されると同時に、公共性を殊更意識したものではない場合もある。よってその内容はバラバラで事実を掌握するためにも最低でも5~10前後の媒体を検証しないと事実すら確認できない。

 もちろん事実のみを書いた媒体もあるが、それですら検証を怠らないようにしなければ、ネットの情報とは信用されるものではない。これを発信者の問題ととるのも確かだが、発信者に責任を求めても無駄とすら思えてくるのが現状なので、情報の受け手を鍛えるしかない。

 では情報の受け手、情報の収集者をどのように鍛えるのかと言えば、情報を漁る癖をつけさせることにある。しかし情報を漁るときも同じ主張だけを漁るのではなく、全く反対の主張も漁り、それを客観的評価をして自分の意見構築につなげる。加えて、自らの意見を構築したならば、「自分の意見」に固執するのではなく客観的事実のみを見据え、自分の意見との相違や後の判断で自分の意見にミスがあるならそれを認めるだけの素直さがなくてはならない。

 自分では情報の客観的評価ができない場合に陥る手段として、最初に自分の主張と合う識者を探して、さも自分の意見を識者の意見であるかのように振る舞うも場合があるが、これがネットで蔓延している。蔓延しているだけならまだしも、自分の意見が正しいと判断したときの押し付けが激しいのも特徴の一つである。これにより本当に正しい情報が蔓延した情報に埋もれてしまう危険性があることに気付けない。

 しかもネットで情報を検索収集するのは、情報を漁る癖を身に付けた人とは限らない。むしろネットに慣れない人たちの中には最初に目にした情報をそのまま信じ込んでしまう人も少なくないのだ。子どもたちであるならば尚更である。途方もない陰謀論や2極化した過激論に嵌まり込んでしまう子どもがいてもおかしくはない。嵌まり込んだことを気付かずに他者を傷つけてしまうことがあれば、それはあまりにも不幸である。

 だからこそ情報選別の能力は早いうちに鍛えなければならない。それ中で学校の果たす役割は大きいが、情報の授業そのものが各教員に依存した教育に留まっているのが現状である。それを改善するためにもさまざまな手段を講じて訴えていかねばならないと改めて思う。

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