教育徒然

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

今回のタイトルはどう書いていいのかわからない。しいて言うなら「時間と情報」

 通常の生活で何らかの情報を見たり探したりするのは日常的な行為となっているが、その中で奇妙に思えることがある。それはどんな情報が信頼・信用されるのかということである。多くは信頼しているサイトや信用できる機関及び人物からもたらされる情報こそが確実なものと考えられているだろう。ネットがこれほど広まる前までは、新聞・ラジオ・テレビが確度の高い情報をもたらすことで、現在においても一定の信頼性・信用性を獲得していた。ゆえに今でもネットを使ってもたらされる情報との比較対象として新聞・ラジオ・テレビの情報が使われている。

 しかしネットでもたらされる情報は今一つ信用性がないように捉われがちである。その理由としてはネットと現実に横たわる隔絶感ゆえ、個と集団との差ゆえ、情報に対する責任ゆえといった点が挙げられるのではないだろうか。そして、その一端として「時間と情報」の関わり及び教育への転用について私の思うところを書いていきたい。

 そもそものきっかけとしてはずっと心に引っかかっていた内容である。それは「ツイッターの炎上はブログなどに比べるとおさまりやすい」「ツイッターでの情報は元が辿りやすく、デマが流れたとしても正しい情報が流れることで訂正されやすい」といった類の言葉である。細部については異なる点がある上、どこで発言・もたらされた言葉だったのかは曖昧である。東日本大震災の悪質なデマが流れた前後のような気もするし、もっと前のツイッターの有用性について述べられていた時だったような気もする。ただそれらしき言葉が誰によってもしくはいつ発せられたものであったとしても、「何か肝心な部分を見落としているのではないか」との疑問が強く残っただろう。

 当時はツイッターを妙に持ち上げる社会に対しての反発心からそのような疑問が生じたのだろうと片付けていたが、現状のネットの状況などを照らし合わせて考えると、その「見落としている」情報がなんだったのかおぼろげながら見えてくる。

 結論からいえば、「ネットの情報は時間の中に沈殿・定着していない」ということである。「時間の中に情報が沈殿する」という表現は些か理解がしにくいと思うが、これが一番状況を表していると考えている。ようは、ある情報を思い出すときに、その情報を知った媒体が無意識に入り込んでいるというものである。例えるなら歴史を思い出すときの世界史の教科書や歴史的快挙を知らせる新聞の見出し、テレビで繰り返し流される決定的瞬間の映像などだろうか。もう一つの側面としては大勢の中に残りやすい共通認識とも言える。ネットの情報の信頼性という点においても結局のところ、ここに終始するのではないかと思う。

 情報の信頼度といえば、書籍が筆頭にあげられるが、なぜ書籍なのか。それは一度「本」としてまとめられ、出版の流通にのり、情報が金銭に変えられたことにあると思う。そして、その本の内容は発行された当時の状況を踏まえたものであり、限定された時間軸の中にのみ存在するものである。もし変わらぬ普遍性をテーマにした内容であったとしても、当時とは状況が違うので今は違いますとの言い訳が通ってしまう可能性があるのだ。

 また一度出版された本は修正が容易でないことも、信頼性の高さに一役買っている。本は出版されれば各自の手元に残り、それを書き換えることはできない。第2版以降で修正されたとしても、初版との比較を行うことが出来るので、結果としてどこを修正したのかが記録される。さらに本はタイトルがついていることで検索が容易になっている。これにより一部情報を抜き出したとしても、タイトルを提示すれば原典に行き着き、著作者が意図する情報が劣化するのを防ぐ効果もあるだろう。こういった状況が積み重なることで、本の内容は時間の中に沈殿し、信頼性を高める。

 新聞についても印刷されているという点で、書き換えのきかない情報の提示につながり、書籍と同じような効果はある。ただ新聞の性質上、最新のニュースを捉えようとすると誤情報が増えることにもつながるので、情報の読み手、受け手が時間軸を把握することが必須となる。ただ情報の記録が紙面で行われているので、継続して内容を把握し見比べることで情報の改変も把握しやすいうえ、新聞という記録媒体は入手しやすさがある。

 テレビ・ラジオについては電波を利用することでまさに今起こっている情報を伝える点で優れているが、情報の保持性という点については疑問が生じるところである。視覚や聴覚に訴えることで情報量が紙面よりも増えるが、情報の伝え方のヴァリエーションが増える分、元情報が霞んでいく危険性も孕んでいる。また情報の記録についても映像・音声なので、大本の放送局はともかくとして、誰でも手に入れやすいものかと言われると、本や新聞に比べれば難しいといえる。ゆえに訂正情報も流しやすく、改変された内容との比較がしにくい点も情報の信頼性という点では低く評価せざるを得ない。

 しかし、放送局という組織の特性から世間への影響は大きく、一度に与える情報量の多さと記録の鮮明さゆえに時代の中に残る情報を提供している。媒体としての特性が個人に対して他者に頼ることのない情報の提供を可能としている点は評価しなければならない。共通認識としても同じ情報を流すことのできる放送局は時間の中に沈殿する情報をもっともわかりやすく提供できる。

 ではネットの情報はどうだろうか。昨今の情報は時間の中に沈殿しているだろうか。個人的な意見としていうならば、ネットの影響力は時間の中に記録されるが、ネットの情報が時系列に乗るほどの影響をもたらしてはいないと思う。

 その理由としてまず一つ目に、共有概念の低さがある。ネットは時間をかけずに情報を拡散性することについては新聞・テレビ・ラジオなどより優れている。各個人の有する情報の出し合いという事も含めてみるとツイッターなどはとても早く情報の提供ができるが、見知らぬ他人が一つのツイートを見たとしても、同じ情報を見たといえるだけの共通項を見出せるかという点において確証をもつことが難しい。なぜならば本当に同じツイートだったのかを確かめるためには最低でも「誰」が「いつ」ツイートしたという情報を共有しなければならないからだ。放送局や新聞社であれば、組織名もしくは媒体名を共有できることで検証できるが、それができない個人のもたらす情報では共有性という点において他の媒体より著しく低下する。

 また二つ目に情報の変遷の不透明さが挙げられる。ネットの情報を見ていて最も困るのが、過去の情報の削除である。ネットの性質上、いつまでも同じところに情報をストックしておくことが出来ず、優先度が低いと思われる情報、もしくは不都合な情報は場合によってす削除されてしまう。一部ユーザーによって保存される情報もあるが、それが本物かどうかを調べるにも手間がかかる。

 これまでネットで炎上した事件なども振り返ってみれば、ほとんどの場合元となった情報は消されてしまっている。ゆえに情報がどう変わったかを個人で確認するのは非常に難しい。加えていえば、デマを流したとしても削除してしまえば証拠は残りづらいうえ、ツイッターなどの少ない上の場合は、解釈を後に解釈を変えた見方を提示することで、情報の確度に疑問を投げかけることにつながってしまう。

 さらにネットではたびたび過去の発言が現在発言されたように取り上げられることがある。元を確認しようとも時間がたっているため削除されたり、確かめるのが面倒だったりするせいで、結局現在と過去が混同されたまま誤認された例も事欠かない。

 以上二つの点から見れば、ネットの情報は時間の中に沈殿しにくい。時間をかけずにいくら広がりを見せる情報であっても、共有を生み出しにくい環境から情報の上澄みだけが独り歩きし、さらに本当にあったかどうかも疑われる情報では信頼性も生まれない。よってネットから情報を得たという認識が薄くなって、記憶に残らない。ネット情報で共有及び信頼にあたる情報と言えばサブカルチャーぐらいではなかろうか。

 そしてこういった「時間に沈殿しにくい情報」が最初に述べたツイッターの「炎上のおさまりやすさ」と「デマの正しやすさ」につながることになる。

 情報が伝わるスピードが速いという特性があっても、共有が薄いゆえに関心を引きとめられず、炎上がそれほど広がらない。情報の確実性を高めようと、情報の変化とともに内容を書き換えてしまっては、情報の責任が薄くなり、デマとなるような事実であっても躊躇いなく書いてしまう。

 つまりネットの情報には信頼性が薄いという特性があるからこそ「炎上のおさまりやすさ」「デマの正しやすさ」があるので、それを過信していればいつまでたっても現状のままだというイライラが反発につながったのだと思う。今後の問題としてはこの特性をどう授業で伝えるかにシフトしていくことにして、今日はこれで綴じたいと思う。
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

まとめtyaiました【今回のタイトルはどう書いていいのかわからない。しいて言うなら「時間と情報」】

 通常の生活で何らかの情報を見たり探したりするのは日常的な行為となっているが、その中で奇妙に思えることがある。それはどんな情報が信頼・信用されるのかということである。多...

まとめwoネタ速neo 2012-05-06 (Sun) 01:50


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。