教育徒然

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ネットの言動は軽視されているか

 ネット上には個人の言動・意見が溢れ、様々な考え方・思想が洪水のように流れ出ている。その中でどうも奇妙な感覚に捉われることが増えてきた。その感覚とは、「ネットの意見が世間に反映されていない」と叫ぶ人達を見た時に湧き起こるものである。どうもその言動・行動に対して妙な違和感を自分の中に認めることが出来るのだが、いったいそれは何なのだろうか。

 最近の話題だが、違法ダウンロード刑事罰化について活発に議論されている。その内容についてはさておき、一部の言動に「ネットの声を無視している」との声があることは確かだ。この「ネットの声」の「ネット」が誰のことかを最も大きな括りで考えれば「インターネットユーザー」の事を示していると言っていいだろう。では「ネットの声」の「声」は何になるのかを考えると、「刑事罰化導入に対する反対」ということになろう。

 実際にそういった意見はよく見かけるので、何となくそうだと納得してしまうが、それでいいのだろうか。確かに大多数の意見として「刑事罰化反対」もあるが、少数とはいえ「刑事罰化賛成」の意見があることも事実だ。見識の浅さや権益を守るためだとの批判もあるだろうが、そういった声もあること自体は否定できない。となれば、「ネットの声」とは多数派を代表した意見である。

 しかし、ネットにおける多数派の意見というのは非常に曖昧なものである。なぜならば多数派を構成している「数」が曖昧であり、さらに意見そのものの束ね方が雑であるからだ。

 いくらネットで多くの人が同じことを述べていると言っても、どういった範囲の中でどの程度の人数がいるのかを明示していなければ多数派を強調しても意味はない。統計学に基づいた信頼できるデータを出すぐらいであれば信頼もできるが、出典不明な独自データで多数派というだけでは内容の信頼性は薄い。

 またいくら多数派を形成していたとしても、その意見そのもののまとめ方が大枠でしかまとまっておらず、細かな意見の調整がなされていないと、たちまち多数派の中に少数派の個人が乱立しているだけの烏合の衆となっていることが露呈する。

 こういった点がクリアされていれば、ネットの声も世間に届きやすい。刑事罰化についてはインターネットユーザー協会(MIAU)や日弁連という「団体」が核となって意見を集約し、分かりやすい意見の提示を行っているので、抗弁が通っている。

 そういった意味で考えれば、「ネットの言動は無視されている」というより、ネットという薄弱な糸で繋がれた状態を強固な鎖で括られたと勘違いした個人の集まりであり、意見をまとめる手間を軽視した烏合の衆なので、全うな団体からすれば相手にされないというのが事実なのだろう。

 加えてしっかりと意思を表明する個人は、分かりやすい言動であるほど、人をひきこみやすい。意思の善悪はともかくとして、その意見・人物を核とした集団を構成すれば、烏合の衆の中身である散在した個人に対する多数派をあっという間に築くことが出来る。

 少し機転の利く人物ならば、ネットではこんな声が上がっていると言って、一部のネット上の意見を多数派と見せかけて利用することぐらいは思いつくだろう。このような事例を出すと、すぐに「マスコミ」や「政府」、「他国」という対象を持ち出してしまいがちだが、そんな人物ほど気を付けるべきである。その叩く体制を限定していることこそ、ネットの内部誘導に乗せられている可能性があると気が付けばよいのだが、どっぷりと嵌り過ぎると抜け出すのが難しいのが現状である。
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まとめtyaiました【ネットの言動は軽視されているか】

 ネット上には個人の言動・意見が溢れ、様々な考え方・思想が洪水のように流れ出ている。その中でどうも奇妙な感覚に捉われることが増えてきた。その感覚とは、「ネットの意見が世...

まとめwoネタ速neo 2012-06-12 (Tue) 22:32


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