教育徒然

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何故情報モラルを教えるのか

 以前より情報モラルを教えることについて色々と書いてきたが、もう少し俯瞰から眺めたみようかと思い、そもそもなぜ情報モラルを教えなければならなくなったのかを考えてみることにした。その思考の起点としたのが、「子どもたちに情報モラルを教える理由」である。

 ではこの「子どもたちに情報モラルを教える理由」だが、まずは子どもを教育対象としぼり、子どもがどういった存在であるから情報モラルを教えるのか。一応これについては、以下の3点あげておきたい。

 a 子どもを保護対象と捉え、事前に知識を与えることでネット社会のトラブルから守るため。

 b 子どもを成長因子と捉え、正しい教育を行うことで今後のネット社会に正しく対応させるため。
  (子どもを成長因子と捉え、間違った知識を得た状態でネット社会に対応させないため)

 c 子どもを障害要因と捉え、以後の影響を踏まえたうえで誤った対応をしている現状を把握させるため。

 この3点を周囲の要望と子どもたちの受け止め方としてみれば、aが保護と自衛、bが予防と対応、cが対策と自戒と当てはめることが出来ると思う。ではなぜ、これらを行うことが求められているのかと言えば、「ネットを使う場合には注意しなければならない」という前提がついていることに他ならない。

 しかし、なぜこれほどネットは注意しなければならないものになったのだろうか。その中でも、これまでにも何度か取り上げてきた、誹謗中傷や、暴言・不用意な発言等は誰でも遭遇しうる案件である。それこそ、年齢に関係なく誰でも発しうるものであればこそ、誰であっても注意しなければならないものでもある。

 そもそも現実のコミュニケーションであれば、言葉遣い等に気を付けるよう教育されているにも関わらず、ネットでの発言となると途端に言葉が荒くなったり、態度が横柄に見えるのはどこに原因があるのか。こういった話になると、必ず出てくるのがネットの匿名性であるが、一般的に知名度が高いと思われる人物でさえ、ネット上の言動には思わず嘆息をつきたくなるのが実状である。となれば、それ以外の理由を探る方が妥当である。

 ここで思い至ったのが、よくテレビなどで見る磨りガラス越しの会話や車中で見かける恥ずかしい行動である。彼らの行動を少し思い出してほしいのだが、たった一枚のガラスやドア一つ隔てただけにも関わらず、突然舌が回るようになったり、普段外でならしないような行動を大胆にやったりしてしまう。実際ネット上の行動とは画面を隔てた行動であるということも併せて考えると似たようなものなのかもしれない。

 そして、それが意味するものは、「心の距離」ともいうべき各個人が認識する曖昧な空間把握である。もともと人の心とは分からないものではあるが、このネット社会になったことで、さらに分かりにくくなったのかもしれない。断っておくが、何もここで宗教的な話をするつもりではない。だからといって実証を取っているわけでもないので、十分に検討されたものでもない。あくまで一つの仮説、可能性の話として考えてもらいたい。

 さて、この「心の距離」であるが、いわゆるパーソナル・スペースとの関わりが深いのだろうと思う。実際のパーソナルスペースの中では現実における物理的な距離も表されているが、ネットの中では存在しえないため、より心理的・精神的な距離が直接関係してくる。特にコミュニケーションを取る際には、いっそう鋭敏になり、大きく影響されるものと考えられる。ちなみにコミュニケーションとパーソナルスペースの関連性という論文もある。もっともこの論文はコミュニケーションによる物理的なパーソナルスペースの距離について言及しているので、ネットにおける事例とはまた別ではある。

 ではネットにおける具体的な「心の距離」を考えていこうと思ったが、少し長くなったので今日のところはこれまで。
 
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まとめtyaiました【何故情報モラルを教えるのか】

 以前より情報モラルを教えることについて色々と書いてきたが、もう少し俯瞰から眺めたみようかと思い、そもそもなぜ情報モラルを教えなければならなくなったのかを考えてみること...

まとめwoネタ速neo 2012-06-24 (Sun) 20:43


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